知れば知るほど
正直に言ってしまうと、「介護士」として長く働いている人ほど、「寄り添い」に疎いように感じます。
全員が全員とは思いません。
しかし、「寄り添い方」を実践しようとする人ほど、「介護士」という業務範囲に馴染めないでしょう。
こみちの勤務する施設にも、理学療法士や作業療法士が働いています。
彼らが持っている「技術のバリエーション」や「知識の深さ」をすべて理解している訳ではありませんが、利用者の心身機能に大きな改善は見られません。
もちろん、運動機能を回復させるレクリエーションを否定するつもりはありません。
しかし、介護士が日常生活の中で行うレクリエーションとの差が感じられないのです。
なぜそんな風に思ったのかと言うと、もしもこみちが作業療法士で、ある利用者の運動機能を向上させたいと思ったら、もっと利用者の内面を知りたくなります。
逆を言えば、1人の作業療法士がキャパを超えた人数を担当してしまうと、決められたメニューを順番に行うようなレクリエーションになってしまうでしょう。
言うなれば、効果が未知数のレクリエーションを時間通りに提供しているだけです。
だから、機能の向上が見えないのではないかと想像してしまいます。
介護士が看護士を批判したり、その逆もよく耳に挟みます。
多くは、「自分の方が正しい」という内容です。
しかし、機能訓練同様に、レクリエーションの内容が正しいか否かではなく、「効果があったかなかった」で考えると、「正しい」はあまり大きな価値を持ちません。
ところが、どちらの方が物ごとをよく知っているのかを競いたがります。
中には、目に前の仕事を放り出してでも「そんな争い」ばかりを気にしているのです。
なぜ東大に合格できないのか?
ある人から、東大に合格できるのは、「事務処理」が人並み離れた人たちだけだと聞きました。
「事務処理」とは、前提条件を踏まえて、通常の思考なら「妥当」だと思う結果を導ける能力です。
クリエーティブである必要も、特殊な才能も求められている訳ではありません。
当たり前を当たり前に選べることが最大の目的です。
しかし、人はどこかで「色」を出したがります。
思考の偏りだったり、抜けた知識があることで結果が異なってしまったりしてしまうのです。
勉強していると眠くなってしまう人や、勉強時間は長いのに成績が上がらない人も、「色」を出してしまうのでしょう。
ある意味では、その色こそが人生観であり、生きていく面白みでもあります。
本来なら色を生かして生きていける社会が理想でしょう。
しかし、学歴社会や偏差値主義のように、事務処理を高めることに大きな意味を持たせてきました。
その結果、多くの人が共通した「当たり前」を感じられるのです。
多様化すれば、さまざまな価値観が生まれ、社会は自由度を増して華やぎます。
しかし、共通した認識が薄れることもあり、個人主義化が進み、他人への共感も薄れるでしょう。
「結果を出すこと」に大きな意味があり、「分析すること」自体は大きな意味を持ちません。
分析とは傾向や時代を読み解くことですが、その中で前進することが「結果」であり、「トップ」に立つことです。
もちろん、分析には事務処理が使われます。
前提条件に従い、高い確率で起こり得ることを導き出すからです。
一方で、結果を出すには、分析も有効な手段ではありますが、「意識決定」が求められる点で異なります。
つまり、介護士と看護士でそれぞれの弱みを罵り合うことこそ、介護現場での無駄です。
それぞれが異なる立場にいるのですから、それぞれの見解を有効に取りまとめて「結果」へと繋げていくべきです。
しかしながら、作業療法士がルーティンワークしかしないのは、「やってはいるけれど、結果は無視」というリハビリであり、これも無駄に他なりません。
介護士が疑問や質問を投げかけると、表面的な答えが返って来るばかりで、ある意味でそれは「分析」の範疇なのです。
聞きたいのは「結果」であり、専門職としての「見解」です。
どう判断したのかを、前提条件とともに解説して欲しいなと思ってしまいます。
「東大」にだって行けたかも知れないけれど、自分は「コレがしたい!」だからこの道に進んだという人が理想でしょう。
なぜ自分が「東大」には行けないのかさえ考えない人が、利用者の心身機能をどう回復させるのか疑問なのです。
考えて工夫することが得意ではないなら、知識や技術を磨いて人並み以上になろうとしなければ一人前にはなれません。
もちろん、こみちは一介護士で、介護施設のなかでももっとも軽視される存在です。
それは、作業療法士や看護士、社会福祉士のように一定期間の専門教育を受けていないからです。
また、国家試験をパスしていることも差になるでしょう。
介護福祉士も国家試験ですが、専門性という意味では、どうしても聞き手側になります。
「こんな風に考えたら?」と発案する立場にはなれないので、歯痒さも感じます。
介護士同士だけではどうにもならないからこそ、介護施設の運営方針に共感できることが重要なのです。