結局、介護とは何なのか?

介護士が考える「介護」のホンネ


介護の本質を少しでも明確にすることで、介護士の業務も具体的になります。

別の記事で、介護士には食事は排せつ、入浴の3つが大切なのだと紹介しました。

しかし、別の視点に立てば、「理想的な介護」というものがあったとして、それを実現するために介護士は何を学び考えることが大切なのか知りたくなります。

まず、「理想的な介護」と「介護の基本」の違いから解説しましょう。

介護の基本は、やはり食事や排せつ、入浴と言ったライフスタイルの軸となる支援です。

食事も排せつも、さらに入浴も生きて行くためには定期的に行う必要があります。

その先を言えば、どんな風に食事をするとか、快適な入浴環境を作ることに目を向けていくのでしょう。

一方で、「理想的な介護」とは、どんな介護でしょうか?

これはこみちの個人的な見解ですが、「今までの生活」に他なりません。

では、「今までの生活」では何をしていたでしょうか?

夫婦であれば、食事の際にたわいない会話をしていたでしょう。また、趣味があれば、そんな時間も過ごしていたはずです。

もう少し行動を詳細に見ていくと、歩いたり座ったりする他、誰かと話したり手紙や電話をしていたでしょう。

興味深いことは、これらの行動を生活の中で行なってきたということです。

施設で行うリハビリのように、プログラム化されたメニューで行なっているのではありません。

もしも「理想的な介護」がそのような内容だとしたら、少なくとも現在の介護施設で提供されている「介護」とは異なります。

事実、介護施設では「介護の質」を向上させたいと考えていますし、それに合わせて介護士たちのスキルアップにも力を注いでいます。

ただ、残念なことは、スキルアップのために提供されるプログラムも、「今の生活」から導き出したものではなく、長年の経験から得た介護技術や知識がもとになっています。

どうやら、介護施設が提供する「介護」は、この先も「理想的な介護」にならないでしょう。

なぜなら、「介護」に対する根底の考え方が異なるからです。

どうしても、施設の介護は「介護保険のルール」に則ったサービスです。

それは、不測の事態が起こった時に、社会的に問われる施設の責任を明確にする目的でもあります。

介護記録なども、日々の介護がどれだけ妥当なもので、些細な落ち度はあったとしても、やむを得ない支援だったと証明するためでもあります。

もしも、そんな目的があるなら、「介護」は利用者に最善なものとは限らず、公的に運営するうえでの妥当性が求めれるはずです。

繰り返しになりますが、「理想的な介護」は「今までの暮らし」です。

少し栄養バランスが崩れていても、その家族が団らんできるならそれも否定されるべきではないでしょう。

夜更かしもしますし、早朝にランニングをすることもあります。

何が良いか悪いかではなく、与えられた時間を自分なりにどう使うのかが「今までの暮らし」そのものです。

さらに、そんな生活に近づけることが、「理想的な介護」に通づるのです。

もしも、施設で行うとどんな介護支援になるでしょうか?

朝起きて、朝食を食べる場面で比較してみましょう。

通常、介護施設であれば、夜勤帯の排せつ支援があり、早朝に着替えなどの整容が行われます。

スタッフの人数により、整容の内容が異なってきます。

では、「理想的な介護」ではどうなるでしょうか?

例えば、トイレで新聞を読むこともできます。ラジオ体操をしてもいいでしょう。

歯を磨きながら、庭先の盆栽を見て回ることもあります。

人それぞれに習慣化された行為があって、そんな生活が「幸福」につながります。

介護施設で行う「整容」をグレードアップしても、そんな時間は演出できません。

個人の好みに合わせたコスメを揃えたり、美容師経験のあるスタッフがヘアーセットをしてくれたり、気分や体調に合わせて洋服を選んでくれるようなサービスであれば、実現できるかもしれません。

介護施設を利用する高齢者のホンネ


「自宅に帰り、今までのように暮らしたい!」のです。

しかし、日常生活をひとりで送ることに支障が生じれば、家族や友人の支えが必要になります。

子どもが面倒をみてくれることもありますが、家庭を持っていれば何かと気を使うのも事実です。

だったら、介護施設で迷惑をかけないという選択になってきます。

我々介護士は、施設で暮らす利用者のケアに努めます。施設生活を通じてリハビリを担うこともありますが、その時間は十分とは言えません。

なぜなら、三度の食事に2回のお茶の時間、さらにレクリエーションや入浴などで、毎日のスケジュールはかなり密になっているからです。

利用者が話し相手になって欲しいと思っても、時間を気にしながら話をすることしかできません。

もっとも、オプションメニューが豊富な有料老人ホームなら、オプション化することで、要望の多いサービスを提供できるかもしれません。

しかし、有料老人ホームでも、「これまでの生活」を再現することは難しく、あるレベルで過去を切り捨てることも求められるでしょう。

つまりは、それが介護施設選びにも繋がりますし、自宅復帰に必要な環境条件でもあります。

施設に入所すれば、利用者が家族に掛ける負担を軽減させることができますが、「自宅復帰」は難しくなったり、施設でのリハビリが結局何の為にあるのかは不明確になってしまいます。

自宅介護が重要な理由


施設での介護は、どうしても一定のルールに従ったものになります。

一時的に施設入所するなら、3ヶ月を上限にするべきでしょう。それ以上になると、利用者の多くが施設での生活に馴染んでしまいます。

杖歩行から自立歩行になるよりも、車イスのお世話になるケースが多いからです。

つまり、自宅復帰が困難になり、介護の目的も「施設で不安なく暮らせること」に変化します。

確かに、介護士が施設でレクリエーションを行うと、利用者の心身機能がかなり向上します。

ボール投げができたり、みんなでカラオケをしたりと、生活に笑いや潤いを感じられるでしょう。

しかし、それだけでは自宅に復帰はできません。

現実問題はもっとシビアだからです。

地域による見守りや介護支援が充実すれば、もっと多くの人が安心して自宅で暮らせるかもしれません。

その意味では、公的な介護はまだまだ変化が求められます。

そして、我々介護士も、「介護の基本」を習得した後、どんな介護現場に進んで行くのか考えることが大切です。

施設入所した利用者の中で、自宅復帰は短期入所が圧倒的です。1年を超える利用者は、何らかの事情で自宅復帰しません。

また、別の介護施設へ移動する人もいますが、施設から施設への移動を喜ぶ利用者は少ないように感じます。

その理由は、自宅での生活ではないからでしょう。

介護施設での支援は、ある意味で子どもだましなのかもしれません。

笑顔で話す介護士に、不信感を抱く利用者もいるくらいです。彼らは、「上手ですね!」と誉めても喜んでくれません。

そればかりか「バカにしている」とそっぽを向いてしまうこともあります。

高齢者を子ども扱いしてはいけないことに繋がります。

何をどう支援することが、「介護」なのでしょう。

今後もますます、介護士には変化が求められます。

特に介護支援の内容について、利用者とともに成長していかないと、介護士に多い燃え尽き症候群になってしまいます。

事故のない支援であれば良いというのも、施設に勤務する介護士なら悩むテーマでしょう。