「生きていたくない」と朝も起きなくなった父親

 ここ数日のこと

特に家事分担を強制されていない父親は、気分次第でお釜のご飯を皿に取り分け、冷蔵庫にしまってくれます。

ある意味で、それが唯一の家事なのですが、できていなければ誰かが行うので、割と自由です。

しかも、どんなにご飯が残っていても、山盛りで皿に盛るので、それをレンチンして食べると米粒が潰れていて美味しくありません。

かと言って、こんな風に盛りって欲しいとアドバイスすると、ヘソを曲げて「やらない!」と言い出すので、家族としては本人の意思に任せているという状態です。

ここ数日、何が原因なのかよく分かりませんが、「生きていたくない」「早く迎えが来て欲しい」と口にします。

父親の立場になれば、足が不自由で糖尿病持ち、仕事もありませんし、家での役割も先に紹介したような感じです。

なので、起きていてもテレビを見て過ごすしかありません。

確かに未来を考えると不安だと思いますし、「生きるのが…」と思ってしまうのも分かる気がします。

ただ、こんな風になることを数年前、いや十数年も前から再々話して来て、だから本当に老いた時にどう生きて行きたいのか、自分でしっかりと考えて欲しいとも告げました。

当時、「わかっている」とか「世話にならない。心配するな!」などと言っていたのですが、やはり老いてくれば先延ばしにしていた結論を急に迫られるようになります。

全身が痛いと朝になると言い出し、夕方くらいまで部屋から出て来ません。

家族が居ないとキッチンなどに来ているようですが、基本的には自室にこもっています。

老老介護の現実

段々と老いて来て、しかも夫婦で互いを介護するという状況になれば、家事や買い物など、日常生活に追われて大変です。

しかも片方が介護になると、その世話までもう一人が行うので一気に大変さが増します。

そんな現実を見れば、三度の食事も食べられて、洗濯も掃除もしないでテレビを見ていられる父親は、他の方に比べて楽だと思います。

「生きるのが…」

そんな言葉さえ出すことができない現実を生きている方々も多いはずです。

楽しみがない。家族の団らんが少ない。

そんなことで、生きる意欲を失っているのなら、老いて配偶者を介護しながら懸命に生きている方の大変さを知るべきです。

しかしながら、父親は負担が迫ると逃げてしまいます。

母親が大腸ガンかもしれないと家族に打ち明けた時も、父親は普段と何も変わらない生活でした。

母親に寄り添うこともなく、病院を調べる訳でもなく、いつも通り自室にこもっていたのです。

寝ている間に状況は過ぎて、忘れた頃に顔を出すのは父親のやり方です。

でも、もしも母親が検査してガンだとなった時に、母親のことや自分のこれからをどう考えているのか聞きたいくらいです。

過去には同じような質問したこともありますが、沈黙だったり、「分からない」と答えたり、父親には現実を受け止める力が無いようです。

でも、老老介護なら、そうなれば頑張るしかないですし、そうなる前に地域や行政にも働きかけることが必要です。

つまり、準備を何もしなければ、どんな手も打ちようがないので、ただうずくまっているだけでは解決できません。

夕方に起きて、夜遅くまでテレビを観て、朝は起きて来ない。

最近の父親はそんな暮らしになっています。

でもある意味でそれで生きていられるのだから幸せでしょう。

意味がないことや酷使していると分かっていながら、それでも自分の健康を差し出して生きている時が誰にだってあるからです。

若い頃とは違い、身も心もクタクタになって1日が終わる。

そんな時に、大きな音量でテレビを見ていた父親をどれだけ羨ましく思ったか。

母親も以前よりずっと早く自分の部屋に戻ってしまうので、リビングに最後までいるのは父親だけになってしまいました。

家族が段々と離れてしまうことに、寂しさを感じているのかもしれません。

でも、受け身の姿勢を崩さない父親の生き方を支えてあげるだけも余力が、家族から消えてしまうのも仕方がないことなのです。