また「人参」と「ほうれん草」ですか?

 今晩の献立は…

昨晩、親子丼を作りました。

冷蔵庫に生魚でもあればよかったのですが、見つけたのは「味噌漬けされたもも肉」のパック。

パックには味付け済みで焼くだけと書いてあります。

でもコレが意外と癖もので、味の濃さも塩加減も全く分かりません。

ペロッと生肉のタレを舐めることもできず、躊躇いつつも少し小さくカットして焼き始めます。

その前に、立派なネギがあったので、4センチくらいの長さに切り、多めの油で揚げ焼きにしておきました。

もも肉が8割9割火が通れば、一緒に混ぜて仕上げたいと思ったからです。

それ以外は玉ねぎとワカメの味噌汁。

人参のきんぴら。胡麻和えのほうれん草。

これだけ作れば、成長期ではない4人分の食事なら十分です。

しかも、漬け物や梅干しなどはありますし。

「えええええ何で?」ですよ!

人参のきんぴらを作った理由は、まだ冷蔵庫に3本残っていて、それも最近せっせと料理してやっと減らせました。

ほうれん草も同様で、半分ずつ使ってもいいのですが、これもやっと消費できたので。

しかし、料理がある程度できた頃、買い物に行っていた母親が帰宅。

ダイニングテーブルに買ったものを並べているのですが…。

なんで?

人参とほうれん草がまた買ってあるではありませんか。

一方で魚はありません。

出来合いの唐揚げ、8個入りパックもあります。

母親としては、作る手間を省けると思っているみたいで、でもこみちとしては明日の弁当に入れるオカズも兼ねているので、作らない訳にはいきません。

なので溝漬けの肉よりも生肉の方が使い勝手もいいのです。

でも、それを何度も説明しても、母親の行動はその時に「自分が思ったこと」が全てです。

やっと作り終えて片付けている時に、惣菜や調理された出来合いのオカズが並べられていい気がするでしょうか。

しかも決まって油っぽいと食べない。

こみちが自分で作った料理なら食べますが、わざわざ余分に買ったオカズまでは処理し切れません。

その上、在庫が少ない出汁の素も忘れています。

買って来るというから、買って来なかったのに…。

期待している物は忘れて、期待していない物は短期間に何度も繰り返す。

萎えます。人参とほうれん草。

しめじなんて、まだ2個残っていて、流石に今日は買っていませんが、明日は分かりません。

「忘れるからメモしてね」

でも返事は「ずっとメモなんてしなかった」という言葉。

返事になっていないですよね。

いつも会話が少しズレていて、責められるとすぐに話を逸らします。

だから何も変わらないまま。

門の脇にある植木鉢が欠けている?

ふと昼間に植木鉢を見たら、縁に部分にヒビが入り、残念な感じに。

それでお父さんに「表の植木鉢が割れているけど」と聞けば、「ホニャララ…」と日本語になっていません。

「壊したの?」

「ホニャララ」

「今日の話?」

「もうずっと前からだよ」

そこははっきり答えるんだ。

謝る訳でもなく、当たり前のように壊しても何も申告しないので、ガレージの方にも割れて欠けた部品が…。

壊れるのは仕方ない。

でも壊しても言わないのは…。

これって認知症とかの話ではなく、人間性の部分だと思いませんか。

本当に親の介護って神経から疲れます。