先ず「加齢」で何が起こるのか?
介護施設での介護よりも、実際に在宅介護をして気づいたのは、「加齢」に対する理解と解釈だと思います。
こみちが初めて介護職として勤務することになった時に、「介護される(する)」って何だと思いました。
例えば、それまでの体験や経験でイメージできるのは、ショップ店員のような存在ではないでしょうか?
訪れた客の目線を観察し、相手のニーズを察して応対する。
つまり、そのポイントは要求にどう対応するか?です。
しかし高齢者介護の場合、確かにまだ軽度の段階では、それも当てはまると思いますが、介護全体の期間としては前半の、初期に限られる状況です。
むしろ、高齢者介護の本質はその後で、「加齢」によってその人の暮らしがどう変化するのかを理解した後でしょう。
こみちの両親を改めて観察すると、質問に対して間違った考えがある訳ではありません。
例えば、朝7時に起きても、6時でも8時でもいいですよね?
高齢者介護だから、何時じゃないとダメではありません。
ただ「加齢」との関係でいうと、逆算して行動を組み立てるような行動ができなくなりがちです。
例えば、「朝食を7時までに済ませたい!」と高齢者が思った時に、料理を感じから始めるとそれができるのか?またどんな段取りならスムーズになるか?という思考が弱くなってしまうと想像します。
なので、こみち家の両親で多いのは、例えば6時に起きて作業を始めるような行動はできるの一方で、8時に家を出るから準備してねという行動が苦手です。
これは逆算して行動することが加齢によって苦手になったと考えると、以前ならできた生活習慣でも、食材の買い物そのものはできても、在庫との兼ね合いを見通して買い物することは不得手になりました。
同じ食材を何度も買ってしまう。
買い物そのものは今でもできるのですが、何を買うべきか?を考えることができなくなりました。
つまり、高齢者介護とは、加齢でいろんなことが全体的にできなくなるというよりも、特定のパターンに該当する行為ができなくなって、例えば老々介護ではそのできなくなったことがずっと解決しないままになりやすいのです。
トイレの失敗をしてしまうってことはあります。
でもその失敗を自分で解決できないとか、また失敗していることに気づかないことでそのまま放置状態が続くようなことは起こります。
作業としてできないのではなく、異変に気づかないので、そもそもしなければいけないと思わないですね。
ズボンを履いても、その途中までになって正しく着替えられないようなことも、できないだけではなく、できていないことに段々と気づけなくなっていて、父親の身だしなみが乱れてもそれを母親が気づいて整え直してあげないことが目立ちます。
しかし、全体的にそれが起こるのではないので、特定の行為には強いこだわりを見せたりもします。
そこにこだわるなら、こっちを直したらいいのに?と思うんですが、それはまた別の話なんです。