介護の大前提
介護とは、今までできたことができなくなった部分をサポートすること。
着替えができなくなった。ご飯を食べる時に不便を感じる。
イメージしやすくないですか?
親の介護とは何か?
一般的な高齢者介護は、正に先ほど触れたように「できなくなったこと」が介護の対象です。
しかし、自分の親になると実はその範囲が拡大されて、一番の問題がお金や老後生活そのものだったりします。
どう言うことか。
今までできていた仕事ができなくなると、「介護」の意味からすれば、「その仕事をサポートすること」です。
しかし、勤務する会社について行くことはできません。
なので基本的には失業し、経済的に収入を失うと言うことが起こります。
そのために貯蓄や年金があると思うのですが、一般的な介護ではその範囲ってクリアされているですが、親の介護の場合、そこが大きな問題になります。
さらに言えば、要介護になった時に、介護される立場になる親でも、親としてのプライドまで消える訳ではありません。
それがどんな形で表に出て来るのかと言うと、「じゃあいい」と言って、できないままを続けようとします。
それこそ、無関係なら「ご自由に!」でもいいかもしれません。
濡れたズボンで、着替えられない親。
「じゃあいい」では済まないですよね。
こみちの両親って、ありがとうって本当に言いません。
気か替えを手伝ったとしても、ありがとうではなく「麦茶」です。
ある意味で、そこに親としてのプライドが出て来るんです。
いい関係にすれば、お互いに気持ちよく助け合える気がしますが、そうではないんです。
両親にとって、「ありがとう」とプライドを失うくらいなら、放って置いてと言う方がいいんでしょう。
問題の本質って何も難しいことではありません。
予定した状況に適合しなければ、弾けばいいです。
でも、じゃあお好きどうぞ!では解決しないし、濡れたズボンでその後数日過ごしたら、家がどんなことになっているか考えると、そこがもう判断できない状況こそが介護なんです。
「手を洗えば」
「さっき、洗った」
何か言えば、必ず言い返して来ます。
素直なのは得になる時だけ。
でもありがとうは言いません。
しないでは済まない。
そんな葛藤が、親の介護なんですよね。
今朝もお決まりになっていますが、両親は口げんかをします。
互いに思うプライドがあって、それがぶつかっているです。
正に手を洗えと言う人とさっき洗ったと言う人。
どっちが正解と言う話でもなく、プライドとできなくなっているが共存するので、手伝っていると言うスタンスには敏感で、手伝ってあげたいを求めて来ます。
じゃあ、代わりにありがとうを言ってと思いますが、それは親としてのプライドで言いたくないですよね。
気持ちの持ち方が、親の介護ではとても精神的に疲れます。