もう人生の折り返しどこか終わりが見えて
ふと、昔テレビで観ていた芸能人の方々を調べてみると、既に他界されている方もいらっしゃいました。
それを知った時に、こみちもあと何年くらい今の健康的な生き方で暮らせるだろうと思います。
一方で、大金持ちになれば欲しい物が買えて幸せだったかと言うと、意外とそうではないと思うんです。
確かにお金を使うと助かることってたくさんあるのでありがたい存在ではありますが。
こみち、今まで生きてきっとこうじゃないのかなぁと思うことは、自身の人生(持ち時間)を使いながら、発見や経験をしていくことなんだろうと思うんです。
つまり、欲しい物を全部買う。
部屋に入り切らないから、大きな家を買う。
でも大きな家を維持管理するのって手間もコストも掛かるので、そこにもお金を使う。
つまり、目の前のテーブルだけで出来たことなら物を買うだけで出来ますが、テーブルよりも大きな物になると今度はテーブルを大きくしたり、そもそもテーブルではないもっと大きな枠組みを導入しなければいけません。
これ、物欲を求める限り無限に広がります。
例えば自分の家がデパートと同じ大きさで、地下から地上8階まで全フロアを私物で埋め尽くしたとして、確かにそこまで来たら、欲しいと思う物は9割あるでしょう。
でも生物なら数日で痛みますし、車なら半年も放置するとバッテリーが上がります。
時間を使って、手間を掛けるにも、実はできることには限りがあるんですよね。大金持ちになったとしても。
つまり、幸福って、その手掛けられる範囲の中で、自分としても満足度の高い物なら一番いいんです。
多すぎても管理し切れない。好きでもないことばかりでは満足度も上がらない。
例えばこみち、介護が始まった父親と最近また認知機能が低下したように思う母親と暮らしています。
いま、父親はもう一人で風呂にも入れないので、着替えも用意して、「お風呂に入ろう」と家族が言わなければ、ずっと風呂にも一人では入れません。
今はこみちが担当していることではありませんが、朝夕の食事を作りながら、作ることを楽しいと満足度に思えれば幸せですが、したくないことと思うと限られた時間も手間も奪われてしまいます。
朝夕の食事の準備や他諸々で、こみちの日常生活の4時間が、絶対にしなければいけなくなったことで奪われています。
眠くても、疲れていても、頭が痛くても、1日の中でその4時間は確実に奪われてしまう現実です。
言ってしまえば、お金を使うとその時間を取り戻すことができます。
だから、大金持ちでなくてもいいですが、自分のしたいことを続けるために、逆にお金って使い方次第で自由を与えてくれます。
例えば同じ介護でも、「ありがとう」と言われてする介護と、「こっちは育てた親だから当たり前でしょ!」と思っている相手を介護するのとでは、感じ方も満足度も変わりますよね。
もっと言うと、どんな形でも人は学ぶことはできるので、優しさを思う経験も悲しみに堪える経験も無駄にはなりません。
ただ介護福祉士の立場で言えば、親を介護するのが子どもの義務ではないこと。
あくまでも、子どもができる範囲でいいです。
そのためにも、親の生活と自分の生活をごちゃ混ぜにしないで、自分の幸せを考えた時にできる範囲で親に恩返ししましょう。
そんな言い方をすると親不孝にも聞こえますが、これ何も子どもだけを考えてではなく、介護は方法を間違えると親だけではなく、子どももできる全てを介護だけにしても、できないようになるです。
自分の幸せそっちのけでも。
だから、頑張ってできることではないことを理解してくださいね。
できる範囲でと言いましたが、それくらいで思っていても実際には自身の人生の半分くらいが介護に関係する様々な手間で失われます。
朝、お漏らしした。
それだけで着替えや汚れた下着の洗濯、自分だけなら次のことを出来たのに、朝から急いで洗濯機を回すなんてことが日常になります。
仕事の準備や確認をしたいなと思っても、誰も作れなければ、キッチンに立つしかありません。
着替えさせてもらい起きて来た父親は、いつものようにテレビを観る。
何か手伝ってくれたらと思っても、これしてと頼んでもそれを理解したり、実際に体を動かすのをみると、自分で頑張る方が余程スムーズなんだと気づきます。
もう当てにもできない。そこにいるだけ。段々とそうなるんです。
逆に母親はいろいろし始めます。
でも「嗚呼、ちょっとそれはしないで!」そんなことを言わなければいけない時も出て来ます。
なぜなら父親とは違い動ける母親も全体を見て動いているのではないので、極端に言えばハンカチ一枚を洗濯機で回してしまうようなことを始めます。
作業としてはできる。でも、どんな順番でするべきか。
それが段々と判断できなくなります。
だから「お皿出して」と伝えても、「どのお皿?何枚?」と返って来るので、結局は何もしないでいてくれた方がスムーズなんです。
でもそうなると、もう朝夕の時間はキッチンにいないと何も進まなくなります。
これって、単に数時間が奪われることではなく、日常生活のほぼ全てが固定化されるくらいの出来事です。
お分かりの通り、ここまでどっぷり浸っては自分の幸せを失います。
そうなる前にケアマネに「母親はもう食事の準備が難しくなったようです」と伝えて、宅食サービスや訪問介護などのサービスを受けるべきです。
そうしないと、自分の幸せが奪われてしまうので。
介護でやり過ぎと言うと、24時間付きっきりをイメージするかもしれませんが、実際には固定化された日常生活を作る時点で介護としては関わり過ぎなんだと理解してください。
一度、両親だけでは限界なんだと分かって、ケアマネと介護計画を立て、自分が支えられる範囲を手助けするくらいで考えましょう。
料理くらい、買い物くらい。
それぞれの作業はできるかもしれませんが、それをしてしまうと、自分の活動範囲も狭くなり、自分の幸せがなくなってしまうので要注意です。