なぜ両親と合わないのか?

 今朝のこと

今朝も食事を作るためにキッチンにいました。

食器棚の調理料を置いたスペース。

そこに母親が置いたと思われる風邪薬の箱が乗せてあります。

多分、母親の解釈はこうです。

よく使うから見えやすいところに置いておきたい。

でも普通、調味料の上に置きますか?

調味料を取る時、毎回その風邪薬の箱を横におくの?

確かに風邪をひいたら、その箱を手にすることもしばらくはあるでしょう。

調味料も絶対に毎回使うとも言えません。

だから置いてもいい?

置くメリットと置かないデメリット、一瞬でも頭に浮かばないのかなぁというのがこみちの気持ちです。

実はこれ、いろんな場面で思う共通点です。

ピーマンを連日買って来る。買うのはいいんです。

でも誰が料理するの?誰がそんなに毎食、ピーマンを食べたいの?

ピーマンを処理するために、さらに別の食材を買って来て、料理しなければいけない手間を想像できないのかぁと思うんです。

自分で作って食べるつもりならいいですよ。

好きにしてもらえば。

何にしても結局はこちら側で始末するからこそ、その買い物って意味あるの?なぜそこに置くの?という理解し難いことが多いんです。

でも冒頭で触れたように、母親はきっと便利だからとか、役立つと思ってとか、それをそうする理由はとてもシンプルなのでしょう。

それによって今まで調和していた物までおかしくなっても、仕方がないと思えるのでしょう。

「へぇ、買って来たんだ!便利そうだね!」

むしろ母親はそう褒めて欲しいのかもしれません。

今朝、当たり前に薬箱を重ねてしまうのを見て、重ねたら下の物がどうなるか?までは想像できないのでしょう。

昨日のこと

昨日父親がデイサービスに行きました。

普段父親が使う場所を掃除するなら正にこのチャンスです。

でも母親は父親を送り出し、すぐに出掛けてしまいます。

そして夕方になって帰宅し、「掃除しなきゃあ」と言っています。

老いると記憶力が低下する。

もうそれはここ数年で分かったこと。

じゃあ、カレンダーに「掃除」と書いて、毎日何をしなければいけないかメモればいいだけです。

でもそれをしません。そして、できなかったことを何度も口にして、本来なら終わった作業を一人で大変なことにしています。

もちろん、そもそもで言えば、父親が掃除すればいい話ですよ。

母親だってやりたくないのもわかります。

でも誰もしないでいいのかというと、誰かがやっぱりしなければいけません。

薬箱を簡単に重ねてしまうように、母親はこのタイミングでこれはしなければいけないとかしてはいけないという判断ができません。

思いついたらする。でもメモまではしない。

できなかったら、またずっと口にし続ける。

だったらやればいいのに。

でも言うだけでしないから、仕事が遅くなってしまいます。

ぱっと見、母親って凄く頑張って見えます。

動きっぱなし。

でもよくよく見れば、同じことを行ったり来たりするだけです。

何で一個取ってまた取りに戻るの?

できなければ明日すればいい。

そんな風に若い頃から自身のやり方を振り返って来なかったのでしょう。

「もう何歳だと思っているの?」とか言いますが、それ年齢ではなく性格ですよ。

若い頃もできていなかった。または遅くまで頑張って結果、できていた。

でも効率も段取りも決めないので、時間だけは掛かります。

そして、年老いてスピードも落ちた。

だから見ていると何で?と思うことを何度も繰り返しています。

こだわりが強いのかと思っていましたが、逆で何も考えていないだけでしょう。

調味料の上に置いたら、こみち、邪魔に思うだろうなぁとも想像しなかったんでしょう。

そこに全く違和感を覚えない相手に、それは違うんじゃない?と言っても、やはり理解できませんよね。

感覚の違いというか、想像力の違いなのでしょう。