「弁当を作った」=「冷食をもらった」ってこと?
滅多にと言うかここ最近、母親が自分で弁当を作ったと言う話を聞きません。
しかもこみちではなく、妻に「弁当を作った」と言って来たそうです。
妻にすれば、それは単なる話題で、こみちに話ことでもなかったはずです。
たまたま何かのキッカケで「弁当を作ったんだって」と聞かされました。
妻には言いませんでしたが、「冷食を使った?」と思ったのも事実です。
妻の弁当を作るために、後一品として用意している冷食。
冷凍庫にいろいろあれば、一個くらい大丈夫だろうと言う発想も分からない訳ではありません。
ただ母親の場合、何かしてもらっても「ありがとう」さえ言わないタイプ。
かと言って何か助けてくれることもなくて、むしろグイグイと自己主張する一面しか思い出せません。
「菓子パン買ったよ」
一方的に買ったからと言うのが母親にとっての優しさで、実はそれも「ありがとう」の裏返しやその前にあったトラブル解決の代償としての行為だったりします。
そして冷凍庫。
やっぱりちょっと変です。
残り1個になったちくわ。
こみちのくせで、最後の1個の時は必ず空の2個目部分は切り取るからです。
なのに一個抜けた状態で、しかも裏返し。
よくみると別の冷食も1個なくなっています。
こみちはケチだ。
そう思う人もいるでしょう。
それくらいあげればいいじゃんと。
でもですね。あげている物や手間って無数にあって、それが当然になる人だから構えるんです。
計画して予定を考えるから上手く回ることも多くて、それは行き当たりばったりではできないこと。
一方で母親の行動は思いつき。
例えば買い物でも、一気に買ったら使い切れないでしょう?と言うことも当たり前です。
買ってあげたから冷食くらい…。
そんな発想だったら、買ってこなくてもいいと思うんです。
だってそもそも必要ではない余分な買い物だし、買ってくれた食材も他の食材と合わせて別の料理として作り、両親も食べる夜ご飯になって提供するからです。
母親が思いつきで買って、こみちはそれを見て何か料理に変えて提供する。
「買ってあげた」と言うほど、こみちにとってはメリットがありません。
なのに不自然なもので、50対50の関係だと思ってしまうようです。
「冷食を使ったから」まだ正直に言ってくれたら不満を言うかも知れませんが、分かるんです。
でもそう言うと何か言われるから「弁当を作った」とかするような言い方で、使ったことを勝手に消化させてしまうんです。
自分は悪くない。
仕方がなかった。
人の準備したものでも、必要なら勝手に奪ってしまうと言う考えは、こみちには受け入れられないんですよね。
もちろん、「使ったの?」と聞いても「使っていない」か「覚えていない」って返事でしょう。
パッと取る癖、直して欲しいけど、直らないですよね。
結局のところ、もう母親に対して信頼のようなものを感じられなくなったんでしょう。