薄々は感じていたけれど
今日、仕事をして来ました。
この仕事は久しぶりで、正直、いつまで続けられるか微妙でした。
生涯、自分の仕事を探すなら、その仕事は受け手ではダメだと思います。
ここで言う受け手とは、自身が主体的ではない仕事との関わり方で、簡単に言えば相手が望む仕事をこなして、その対価を受け取る類いの仕事です。
絵を描く仕事でも、兎に角、枚数を描かされる仕事はとても大変です。
こみちの最高点が100だとして、80を求められ、しかも単価を抑えられてしまうととても条件の良い仕事ではなくなります。
今の時代、AIを使えば、ものすごいスピードで80点に相当するクオリティーを描いてしまいます。
もっと高得点かもしれません。
ただ、AIが全てのシーンを描けるのかと言うとそうでもないようで、怒っている人は描けても、悲しくて怒っている人や悲しくないのに怒っている人を正確に描き分けられる訳ではないみたいです。
例えば、全くセリフを無くして、演技だけで感情を伝える演出は、それこそトップレベルの演技力が求められるでしょう。
効果音やBGMによって、見ている情景を意図的に印象操作することで、演技を補うことができるからです。
つまり、セリフを完全に消して、それでもそこに流れている映像が何となく理解できると言うのは、相当に凄い演技力があるからです。
かなり話が脱線しましたが、仕事にも通じることに思います。
つまり、感情を伝えることもしない仕事を続けても、それはAIの得意分野であり、多くの人とも競争しなければいけない仕事です。
だから、価格を更に下げなければ仕事が回って来ません。
打ち切りされることになったのも、ある意味でそう言う話なのでしょう。
こみちの提示した価格の更に2割、3割引きで受ける人がいれば、仕事は奪われてしまいます。
価格を張り合って、同じに合わせても、そこに意味があるのか考えると、多分、その仕事との縁はなかったと考えるべきでしょう。
こみちが考えるのは、仕事を失ったことではなく、もう長く仕事を回してくれた取引先で、とてもよくしてくれたのも感謝ですが、そろそろ巣立ちの時かもしれません。
悲しいことでもありますが、今日も仕事をして楽しかったです。
ただ、もうその仕事は、今のこみちには合わなくなっていました。
感謝。感謝です。