ボケるとは?
天然ボケと言う言葉がありますが、ここで勝手に定義するなら、「状況把握の苦手なタイプ」とでも言えるでしょうか。
まぁ、実はこみちも天然ボケらしく、自分では至ってそんな気がしないのですが、周囲からはそう思われているようです。
「それって「靴」じゃない?」
教えてあげようと思って発したら、予測外の反応が返って来て、「だろうね」と言われてしまいます。
つまり、「靴」と言うことは理解した上で、さらにその後のことで迷っていたのでしょう。
でもこみちには、「靴」と言うことしか繋がらなくて、得意げに言って笑われてしまうと言うことです。
高齢者のボケは、加齢によって段々と周囲の認識や処理が合わなくなってしまうことを指します。
例えば、数日前に味噌が少なくなったので、新しい物を買ってストックしておきました。
すると今日になって母親が冷蔵庫に新たに買って来た味噌を入れていたんです。
つまり、母親としては「残り少ないから気を利かせたよ。褒めて!」と言う状況です。
しかし、ストックを見れば、味噌は既に買ってあります。
折角ならまだ買っていない物を買って来て欲しいわけです。
例えば、今朝も朝用の食材が全くなくて、昨晩の残り(いつもはこみちが朝用に食べている)のおかずを使って間に合わせました。
とは言え、こみち1人分くらいの量なので、とても間に合う量ではありません。
冷やご飯に鰹節を掛けて、上から醤油を加えて、それがこみちの朝食でした。
母親も朝起きた時に、作って置いた皿のオカズを見れば、自分が食材を買い忘れていると思ったでしょう。
そして、夕方、母親が買ったのは、冒頭の味噌や菓子パンなどでした。
絶対にしなければいけないことを理解できず、覚えていることを繰り返しているだけなので、以前から言っていたのですが、忘れてしまうなら「メモしないと」と言う言葉が癖付きません。
「買い物」と言う行為は今の母親にもできるのですが、買うべき物をメモして忘れずに買って来ることができません。
して欲しくないことは、何度伝えても止めることができず、して欲しいことは忘れてできない。
厳密には母親にはもう買い物ができないんです。
それをフォローするのが介護なのですが、ありがとうもごめんも言わず、今でも母親は自分でできていると思っています。
これは天気ボケと同じ構図で、本人は真面目にそう信じていて、でも周囲にするとちょっと変なんです。
大根を買っていたので、もしかするとサラダでも作って欲しいと思っているのかもしれませんが、朝は限られた時間の中で作るのもあって、時間を掛けたくないことも分かっていると思うのです。
と言うのも、母親が起きる前に洗濯機を回し終えているので、いつまでも料理を作る時間がないんです。
上手く回るように段取りしても、あと少しと言う別角度からの思惑が加わって、ことが上手く運ばなくなるのです。
実は結構、このストレスがキツいんです。
少しだけ残ることで、スッキリして次に進めずに、あとでしなければと言う気持ちがいつまでもあるからです。