競い合えば
競い合えば、必ず勝者と敗者が生まれます。
そして、実力とは別で、勝者を連続すると「同等」でさえ勝ち取れます。
つまり、敗者になると「まぁまぁ良かった」という評価はほとんど評価されません。
我々中高年になると、20代や30代で身につけた知識や技術がその評価になってしまいます。
なので、若い世代と同じ土俵で頑張っても、もう積極的に評価されることってないんでしょう。
だからこそ、中高齢者だからこそのニーズに向き合うことが必要です。
「同じではない」そこを受け止めないと、「同じぐらい頑張っているのに」ではもう評価されて勝者にはなれません。
昨日、気になるボクシングの試合を観ました。
「才能」というその人が持ち合わせた能力は、二人ともとても高いことが見ていて伝わって来ます。
でもその種類は全く違っていて、でも両者の能力に大きな差はなかったでしょう。
ただ試合が後半に進むと、ちょっとした場面で差が現れます。
いつもなら気にならないことですが、「同等」という評価ではその「差」が簡単に転ぶのです。
冒頭で紹介しましたが、我々中高年が、若い世代と同じでは評価されません。
その理由を考えるよりも、そんな現実を受け止めて、だからこそどう動くべきかに意識を変えなければ、どうしても気づくまで5年、10年を無駄にしてしまうでしょう。
一方で、勝者だった人は、「差」を自分の実力と思ってしまいます。
50対50でも、勝ててしまうからです。
でも、そのアドバンテージを失えば、意外と勝敗は簡単に転がります。
つまり、当たり前に評価されていたことも相手のポイントになっていて、ここまでできたら勝っているパターンが負けになるのです。
たまたまそうなったと思ってしまうと、それこそ中高年が陥ってはいけないもがきと同じで、気づくまで長い時間を要します。
それこそいい経験にもなりますが、人相まで変えるくらい大きな変化でもあります。
勝っている時は、許されて評価されたことが、すべて減点になってしまうことに気づくと、敗者が勝者になる時は「完璧」しかありません。
失ったものは、そう簡単には取り戻せないのです。
失った時と同じことをしても、負けを重ねてしまうので、復活する時は万全の準備をして、今まで以上に慎重に取り組む必要があります。
試合結果よりも、それぞれの選手が見せてくれた姿に、いろんなことを気付かされました。
人生って、誰にも平等です。
「アイツは恵まれている」と思って、だから楽に勝者になっていると思うかもしれません。
でも、やっぱり負けるんです。
そしてみんなと同じ思いをして、段々と他の人と同じルートを辿り、改めて強さにも勝つことにも感じることがあるのでしょう。
こみちもそれらをバネにして生きたいです。