突然、連絡が来て
妹夫婦から突然連絡が来て、近くまで来たから寄ると言われました。
二人だけではなく、子どもたちも一緒だということで、何も準備しない訳にもいきません。
幸い家に母親もいたので、事情を告げてリビングまわりの掃除をお願いしました。
まぁ、その準備などは問題ではなくて、実際に妹夫婦たちとも会って、子どもたちにも会って、夕飯を一緒に食べて帰って行ったのです。
実は昨日になって、妻から「在宅介護のことでいろいろアドバイスされたんだよね」と。
そんな話は全く知らなかったので、「何それ?」と詳しい話を聞きました。
まぁ簡単に言えば、妹夫婦が在宅介護の不備を指摘したということです。
介護認定を受けた時期や申請の仕方。
ケアプランの組み方や父親への対応。
簡単に言えば、もっと老化を進めない対応ができるというものでした。
妹夫婦は、介護ではなく、医療の専門職で、医学のことをよく知っています。
逆に「介護福祉士」は知っていても「実務者研修」のような介護特有の制度は詳しくありません。
もっと言えば、医療的なケアは詳しくても、介護的なケアの専門家ではないのです。
両方の立場を一般の方にも分かるように例えれば、「それ、面倒でしょう!」が通るか否かになります。
つまり、医療的なケアは合理的に進められます。
その時に考えられる最も効率的な段取りでいいのです。
患者はそれに従って行動します。
でも介護的なケアは、とても非合理です。
順番通りなら簡単でも、途中で中断することも多く、あえて逆からとか、場合によっては端折ったりして、進めなければいけません。
それは主役が誰なのかが違うからで、医療では医師や看護師ですが、介護では本人になります。
介護的な立場では「本人が何を望むのか?」がとても重要なのです。
加えて、施設介護とは異なり、在宅介護での家族は、本人の希望に対して振り回されやすいポジションでもあって、例えば施設介護なら勤務外は要求を拒めますし、勤務中だとしても理由があれば優先を遅らせることが許されます。
一方で家族による介護の場合、全部が全て当たり前になりやすく、それこそ夜中でも早朝でも、関わることが可能です。
一日中、テレビの前でゴロゴロしているのが好きなこみち家の父親が、自分で運動を計画し、黙っていても時間が来たら散歩に出掛けられたら楽ですが、毎回、「運動しよう」と時間を割いて声掛けできません。
24時間しかないのに、毎日数時間を結果も見え難い介護に使うのは、面倒にも思えます。
とは言え、料理や掃除などを代行しているだけでも、生活での負担はかなり違うはずです。
面倒な事務手続きなども調べたり、出向いたりして代行するわけですから、「散歩」までは難しく思えても許されるでしょう。
そこで、「ここにも気を配れるでしょう?」という指摘って、いかにも医療的です。
全部がそうならそれでもいいのですが、多くを介護的に進めている中で、少しの余裕に対してもまだ詰め込めると判断されると、ちょっとどうかと思います。
こみちには全く言わず、妻にだけ言ったことも気になりましたが、日頃の世話に対して「感謝」もなくて、「ここも気をつけてね」ではちょっと専門職としてもどうかと感じます。
以前勤務していた施設のケアマネが、訪問したら「いつも介護頑張っていますね」みたいな声掛けを家族にするという話を思い出しました。
やり方がどうであれ、家族は家族なりに頑張っていることに変わりありません。
「できていないです」と言われて、嬉しいとは思わないでしょう。
そこの気配りが、介護的には重要でも、医療的には軽視されることがあります。
何より、妻が自分なりに努力していると言えなかったことに落ち込んでいました。
頑張っていても、できていないと簡単に言われてしまうと、相手はそんな責めるつもりではなかったのかもしれませんが、言われて嬉しい話ではないですよね。