例えば「ゲームをして」稼げたとしたら

 「家事」も仕事!?

仕事として働いている感覚と、自宅で家族に食事を作る家事とに違いはあるでしょうか?

こみちは介護福祉士の有資格者で、例えば他人の在宅介護サービスの一環として、料理の代行も仕事になり得ます。

その時の違いは、自分の家で家事をしても仕事にはなりませんが、他人宅であれば仕事になると言うこと。

これは発想を変えれば、「家事」以外でも、例えば「ゲーム」で一回プレイするとそれが仕事になる仕組みを思いつけば、稼ぐことができるようになります。

何を夢のようなと思われるかもしれませんが、考えてみると「仕事」とは「勤務を伴うこと」とは限りません。

重要なのは「誰かにメリットをもたらせること」です。

とは言え、初心者のゲームする様子をただ見ていても飽きてしまいます。

一方で、上級者の場合なら、飽きない人もいると思いますが、ただ見せられてもそれで満足できるのかは疑問です。

これは「家事」で考えると、出来上がった「料理」が一級品であることだけが価値基準ではなく、家族が食べたい料理を、その人の好みの味で仕上げることも価値になり得ます。

仕事、ビジネスを考えると、既に出来合ったシステムに使用料を支払うことで、簡単に仕事にできるメリットを考えがちですが、発想を変えれば「価値」を幅広く見返すことができれば、十分に仕事になると思うのです。

問題は「合理化」されたサービスや商品、そして価値観

こみちが年を取ったからか、本当にワクワクするような商品って無いんですよね。

子どもや学生時代なら、欲しいバイクのパンフレットをもらい、それが買えるまで毎日でも眺めてワクワクして待っていたような商品。

良いなぁとか、楽しいかもと言う商品はあっても、待ち侘びるまではいきません。

問題は、合理化された商品やサービスで溢れると、確かにコスパもいいだろうし環境への配慮も十分かもしれませんが、心底欲しい物とは違ってしまいます。

しかも学生時代はバイクも中免しかなくて、欲しいバイクは400ccまででした。

海外を含めて、憧れるような大型バイクはあっても、免許が条件を満たしていなくて乗ることができませんでした。

限定解除して、どんなバイクでも乗れるようになって、じゃあ何に乗りたいかと考えても、全く思いつきません。

眺めてそれで満足できてしまうくらいの熱量です。

つまり、こみちにはこれが欲しいと言う物がなくて、言い換えるとこれなら語れると言う商品やサービスも見つかりません。

これは、価値観を見つけて仕事にすると言う意味でも問題で、便利だけど熱くはなれないことが悩みです。

「ゲーム」で稼ぐとしても、それをどう伝えたら価値ある物になるのかが分からないようでは、とてもビジネス化はできないでしょう。

そこそこで満足してしまうから仕事にもできない訳で、本当に好きと思えるものを見つけることが何よりもスタートでしょう。