ナルシストの気質だけではなくて
父親にはナルシストの気質がある。
格好をつけるという意味ではなく、自分の価値観でしか行動できるタイプを指す。
例えば、自身の仕事に流儀があって、こだわりを持っているからこその自分の価値観だとするなら、それを尊重したとしても非難される話ではないだろう。
しかし、父親の場合、家族で作業を分担し、父親には比較的簡単にできそうなものを予め与えていても、その仕事が全うできない。
流儀云々ではなく、時間が来ても誰かにできていないと言われても、テレビの前から動こうとしない。
でも例えば、アイスクリームを食べようと誰かが言えば、テレビから視線を向けることくらいはできる。
「あげるから、起きて!」
そんな風に言われても、手だけ伸ばして渡してくれるのを待っている人だ。
子どもながら、父親はこれまでよく生きて来たと思う。
「本気を出せばオレは凄い」というのも、父親が自分自身をそう評価しているだけで、現役時代も知識や技術を見つけるために努力していた姿を見たことがない。
「キミ、その仕事ができていないぞ!」
職場できっとそんな指摘を上司から幾度も受けて、結果、仕事が長続きしなかった。
趣味も本気でできる人はやはり凄くて、楽しいこともとことん追求するにはいろんな経験が求められる。
だから父親の趣味はテレビ鑑賞。
番組を観た感想を記録するわけでもなく、一方的に提供される番組をあくびしながら眺めているだけ。
例えば、映画でもドラマでも、「この監督や脚本家は…」と、彼なりの楽し方があれば一日中テレビ鑑賞したいのも分かるが、特に何を求めている様子もない。
知らないスポーツを観てルールに関心持つことも、料理番組を観て作ってみたいということもなく、毎日が過ぎてしまう。
人付き合いが苦手で引きこもる人もいるが、父親はそんなタイプでもない。
ただ、父親自身に何もないから、優しい人もやがて去ってしまう。
タイプとして同じナルシスト気質な母親は、そんな父親にあれこれといろんなものを運んで来る。
「アイスクリーム食べる?」
「少しお菓子食べたら? 小腹空いたでしょ?」
母親にとって、父親が糖尿病でカロリー制限や運動が欠かせないという認識は薄い。
母親の価値観は父親が幸せになることではなく、尽くす妻である自分でいたいから。
冷凍庫には大量のアイスクリームが常備され、甘いジュースも冷凍庫に入っている。
お菓子もいろんな種類があって、父親は食事しなくてもいいくらい果物やらお煎餅やらを食べている。
以前は、少し習慣になっていた散歩もしなくなり、その時に母親に一緒に行けばとも伝えた。
でも母親は母親なりの考えがあってそれには応じず、結局は運動を全くしない父親になり、筋力は落ちたのにまた太っている。
それで膝が痛くて歩けない。家事もできないが始まるのだが、それを聞いて怒る母親にも不思議に思う。
やっていることに一貫性がなく、どうしたいのかが見えない。
多分、母親も何か考えている訳ではなくて、その場で自分が思ったことをしているだけだろう。
最悪なのは、そんな生き方で取りこぼしたことを、子どものこみちに拾わせようとせがむこと。
何もしないで当たり前のように食事をして、好きに食べ散らかして放置する。
まだ父親がそうするなら分かるけれど、最近は母親の方がひどい。
食べきれなかったご飯をラップも掛けずに放置してあって、「これじゃあ乾燥して食べられないよ!」と言えば、「ごめんごめん」ではなく、「おかずにはラップしないのに?」と飽きれた反論をする。
怖いのは、その考えが負けず嫌いからなのか、前後関係がそれだけ把握できないのか。
何か頼んでも、全くそれに答えてくれない両親。
きっと、冷蔵庫の残りには手をつけず、作った料理か、自分で買ったお惣菜で食べるのだろう。
本当に1ミリとて動かないから、互いに連携することができない。
家庭崩壊と言ってしまうのは簡単だけど、本当にこの状況が変だと分かっていないのかとずっと疑って来た。
でも結論は本当に分かっていないようだ。
何もしないと誰からも支えてもらえなくなる。
まわりから突き放され孤独なった時に、自分は不幸な人だと他人を恨むことになる。
でもその結論までに、多くの人が父親にも母親にも手を伸ばしてくれたはずだ。
でもそのことに感謝もしないで今の年齢になってしまったとするなら、二人の人生って何を得る今世だったのだろう。
多分、今日も母親は約束のカット野菜もウインナーも買っていない気がする。
そして朝は約束だから何も作れなくて、それをまた一方的に不幸に思うのだろう。
「これくらいならいいでしょ?」
そうやって段々とルールや約束を無視して、最後は自分の考えだけに生きる両親。
もう学べとは言いません。
どうぞ、悔いなく好きに生きてください。
もうそれしか言ってあげられないです。