数日前の話
いつものように、夕方頃、キッチンに降りて行ったら、シンクの周りに食器が置かれていました。
その日、父親だけでなく母親も家に居て、2人がリビングで談笑しているのは知っていました。
「ん?」
ダイニングテーブルを見て、足が止まります。
夕飯を作ると言い出したのは、こみちなんです。
それまで母親が作ってくれて、それには感謝もしています。
でも母親には強いこだわりがあって、その一つが「味見をしないこと」でした。
感覚だけで作り、みんなと一緒に食べる。
だから、美味しい時もあれば、そうでない時もある。
しかもある料理がそうでない確率が高いのも常で、その料理にはひと口も食べないこともありました。
そして、料理を食べる量も減っていたんです。
だから翌日も、さらに翌々日もテーブルに並んでしまうんです。
こみちなんかよりも母親は器用ですし、手早くできる人ではあるのですが、決定的な問題はできないことはずっとできません。
何度も同じことを繰り返してしまいます。
つまり、テーブルの様子に思わず足が止まったのも、「片付けて欲しい」とお願いしたことが、一度も守られていないからでした。
「あのさ〜!」
強く言うつもりはなかったのですが、少し感情的でした。
「何でできないの?」
すると母親は無視するんです。
そっぽを向くのでもなく、いないような態度で。
「聞こえている? 意味が分かる?」と余計に感情的になっていました。
「あとでするよ。時間がなかっただけでしょう?」
「これから夕飯、作るつもりなんだけど…」
感情を抑え切れなくて、こみち自身も部屋に戻りました。
30分、1時間。
なんだか意味のない時間でした。
その後にキッチンに戻ると、片付けてありました。
父親は自分の部屋に戻り、母親は出掛けてしまっています。
その翌日
キッチンまわりは、また同じ状況でした。
部屋に母親が居て、「どういうこと?」と声かけようか悩んでしまいました。
前日、片付けたのは母親だと思い込んでいましたが、もしかするとあの父親が片付けたのかもしれません。
つまり、こみちが感情的に接して、「マズい」と思ったのは父親で、母親には何も届いていないかったのかもしれません。
昼過ぎ、下に降りたタイミングでキッチンの様子確認しました。
見事にそのままです。
夕方までに片付いている可能性は…。
在宅介護って、家族同士なので大変です。
遠慮もしないし、ありがとうとかも言ってはくれないので。
怒っても何も変わりません。
しなければ、それまでです。
でも母親が変わることもありません。父親も同じでしょう。
こみちだって同じです。
「できない」を受け止めて、やりっぱなしでも淡々とこなすことに頭を切り替えれば解決なのです。
そうとは分かっていても、やはりそれを受け止められないのも事実です。
母親の買い物依存
買い物をお願いしても、買って欲しいものではなく、買わなくてもいいものまで買ってしまう母親。
キャベツ、レタス、シャケ、シメジ…。
いろんなものが冷蔵庫に入っています。
でも、ここ一年、母親まともに料理をしていません。
「作らないなら、適当に買ってこないで!」
人参ばかり連続して買って来たりがつづいて、基本、こみちが買い物も担当しています。
母親は自分と父親が食べたいものだけを買ってくるようにと伝えました。
でも、また母親のお節介な気まぐれが芽生えて、買い物が始まりました。
朝用のカット野菜やウインナーは買って来ないのに…。
結局、家族のためではなく、自分のストレス発散で買い物をしているようです。
「コレ、喜ぶだろうな」
そんな優しさもあると思うんです。
しかし、母親の優しさには特徴があって、「自分で思ったこと」をしているだけで、他人にお願いされたことに従ってはくれません。
キャベツやレタスを買って来るのも、こみちが千切りできることを知って、カット野菜がなくても間に合うと思っているのでしょう。
でも、弁当作りもあるので、朝の1分ってとても貴重です。
千切りしている時間ってできれば省きたい部分。
でもそれを理解してはくれません。
だから、せめてできそうなことは協力する姿勢を見せて欲しいと願うのです。
ですが、一切、変わってはくれません。
だから虚しさしか起こらないのでしょう。