いわゆる「天然さん」とは「大人の発達障害」なのか?

両親の理解できない行動

父親は、役割を果たすということができません。

それは難易度ではなく、些細なことだったとしても、したりしなかったで、担当者として責任を全うできないのです。

そんな行動に気づいたのは、同居して割と早い段階からですが、母親がそれぞれに担当を決めることに反対し、両親とこみちたちで2当分することになりました。

つまり、できていないことに対して、父親だけを責められないように釘を刺された感じで、実際に家族会議でも父親は体調不良などで出て来ないことが多く、かと言って母親が父親のフォローをしている訳でもありません。

しかも、父親は出来ていないことに心を傷めている訳でもなく、むしろ上機嫌におどけて見せたりもします。

子どもっぽい行動にも見えますが、そんな一面もあります。

一方の母親は、いわゆる「ど天然」で、言葉のキャッチボールができません。

母親から何か話すことはできますが、こちらから話をしても「質問とは異なる話」をします。

なので、母親の話を聞きながら、該当する話題を組み合わせて質問の答えを探します。

実際に診断を受けた訳ではありませんが、「大人の発達障害」と違うのか気になります。

こみち自身も妻には天然だと指摘されます。

ただこみちは自分で天然だと思ったことはありません。

むしろ「どこが天然なのか、具体的に指摘して欲しい」と頼んだことがあって、実際に「その行動!」と言われた時も「どこが?」と思ってしまいました。

自分が天然であることを否定したい訳ではありませんが、正直、指摘されたことのどこが天然なのか理解できません。

妻に「あなた達は一緒だよ!」と言われて、何がどう一緒なのか理解はできませんが、確かにそうなのでしょう。

つまり、こみちには理解できない両親の言動も、相手にすればこみちの考えも理解できないのかもしれません。

真逆な感じがして、なぜそこで片付けないのかとか、やり切れば後が楽なのにと思う時に放置していることが分からないのです。

それでもバタバタしてやり切ればいいのですが、老いてしまったこともあって、時間ばかり掛かって何も片付きません。

「これだけは約束して欲しい!」と頼んだことで、1つとして守ってくれたことがないのですが、両親にとってどう理解しての結果なのかは分かりませんが、例えば「使った食器は棚にしまって欲しい」が守れません。

「あとで洗うつもりだった」とか、「また使うから」とか、そんな言い訳はたくさん出て来て、結果的に棚にしまうことはありません。

シンクに残った食器があることで、例えば料理を始められない時があっても、それで困るということが理解できないのです。

「棚に戻す」が、言葉通りにしか理解できないのか、誰かが困るという想像には至りません。

特に母親はすぐに嘘をつくようになり、していないのに終わったと答えたり、使ったのに使っていないと言ったりして、責められないために作話します。

「知っているよ。したでしょう!」と問い詰めると、笑って誤魔化して謝ることはしません。

すると、急に別の話題を持ち出して、どこどこのスーパーで何が安かったとか、話題を変えようとします。

「そんな態度なら、もう一緒には住めないね!」と言ったら、急に態度が変わって、今度は妙にベタベタして来たりで、どこまでが正常で、そこからが欠陥なのかさっぱりわかりません。

しかし、根本的に改善することはなく、どんなに態度を変えても、両親のやり方は同じなので、食器を棚に戻すことはありません。

脳内で情報がどう処理されているのか、とても気になりますが、こみちとしては大人の発達障害に近いと思うことで、両親の理解不能な言動に無理やりでも納得しようとしています。

そうでないと、嫌がることをして、それでも一切改心しない人間性が分かりません。

話しも気持ちを語ってくれません。

「そんなつもりじゃない」と否定しても、そのあとはそんなつもりにしか見えない行動をします。

だから余計に理解できませんし、歩み寄ることも難しいのです。