「介護」を別の言葉で説明すると…

 「介護」って何だ?

まだ両親も健康で活動的なら、介護は遠いもので、もしかすると全く無縁なのかもと思うかもしれません。

しかし、私たちも生きていれば毎年老いて行く訳で、当たり前にできたことができなくなります。

スポーツ選手が引退を決意するのも、昨日と同じ練習メニューをこなすとケガをするようになり、段々と効率的な練習メニューに変えたり、身体の負担を抑えたりして、思うように練習できなくなることも一因でしょう。

つまり、介護とは、当たり前のことができなくなって、それを家族や介護スタッフがフォローするという行為です。

一人では着替えれない?

別に介護だからということではありませんが、例えば「着替え」も当たり前に思う行為です。

つまり、老いてくれば着替えができなくなることも不思議ではなく、介護施設などでは毎朝、着替え以外に髪を整えたり、髭を剃ったりと、できないことはスタッフが行います。

入れ歯をつけたりもしますし、何なら夜間に除菌することも大切な仕事です。

加えて、トイレまで歩けても、用たしの方法が分からないということもあって、「ズボンを脱ぎましょう」というような声掛けからスタッフが関わることも珍しくありません。

時にはズボンを下ろした時に、汚れていたりすれば、着替えを用意したり、または着替えさせたりと朝の忙しい時間帯にもいろいろなことが起こります。

起こしてから朝食を食べるまでも、それこそいろいろで、脇に座り食事を見守ることもあれば、スプーンなどで口まで運んであげることもあります。

その間に他の人が食べているのか常に気にしていますし、異変があればすぐにかけ寄り声掛けをしなければいけません。

介護スタッフとしての経験から言えば、一人のスタッフがしっかりと観察できるのは3人くらいまでです。

しかし実際には10人とか20人を相手にするので、他のスタッフと連携しながら常にいろいろな人を見なければいけません。

つまり、一瞬も目が離せない人とある程度大丈夫な人では観察する頻度が変わります。

その意味では寝た切りの人よりも、勝手に動いてしまう人の方が介護の負担は大きく、より観察する頻度も高くなります。

在宅での介護では、通常、両親を介護することになりますが、最初の頃は現役とほとんど変わらないので、生活のほとんどを勝手にしてくれます。

しかしある時から異変が現れ、例えば立て続けに同じ食材ばかりを買ってきてしまうということが起こります。

それも最初は消費すればいいだけなのですが、買い忘れてしまうものがあれば、買い物も部分的にフォローしなければできません。

「お風呂のお湯が出ない」ということならスイッチを入れればいいのですが、「お湯の設定温度を高温にしてしまう」となれば、火傷防止も兼ねて見守りしなければいけないということです。

「何で?」ということが段々と増えて、理由を聞いても見当違いの答えしか返って来なくなり、ある時から見守りする項目が極端に増えてしまいます。

大きな声が聞こえると、何かしていても耳を澄ませて、困っているのかどうか気にします。

転倒したような音でも聞こえたら、それこそすぐに駆けつけなければいけません。

こみち家の場合

こみち家は、父親の介護が少しずつ始まりましたが、母親に関しても似たような行動が見られて、会話が成立していないと感じることも多いです。

「そのテレビ、楽しい?」という問い掛けならいいのですが、「誰からの電話だったの?」となると、急に返答が曖昧だったり、作話をしたりするので、場合によっては一から話を確認しなければいけないことも出て来ます。

「何で嘘を言うの?」

仮にそんな問い掛けをしても、嘘をついているとは思っていないので、反応はキョトンとしていたりします。

「昨日、〇〇って言ったでしょう?」

そんな問い掛けさえ一日も経つと覚えていないこともあります。

スポーツ選手のように引退して終わるのではなく、介護はそんな状況がずっと続きます。

だからこそ、介護する側があまり負担を増やさないようにしなければ、いつか限界を迎えてしまいます。

やって欲しいことはいくらでもあって、それを全てこなすことは誰にもできないからです。

風邪をひいて体調が悪い時に、早く寝たいと思うことってあるでしょう。

でも介護ってそんな時でもするべきことが減らせるとは限りません。

自分のことなら多少の融通もきかせられますが、他人を介護すると言うのは終わりがないからです。

自分を追い詰めないようにすることが、介護なのかもしれません。