父親のいない我が家で

 いつかは

人には寿命があって、年齢による老化も避けられません。

生まれればいつかはその寿命が尽きるので、それまでをどう生きるのかが生まれた意味ということでしょう。

テレビばかり観ていた父親ですが、その生活をこれからもずっと続けることが本当にいいのかと勝手ながら思っていたのは事実です。

なぜなら、「生きている」ということは当たり前ではありませんし、病気になれば自由は奪われますし、やりたいことも制限されます。

テレビの前で横になって、一日中テレビ眺めるということ自体が悪いと言っているのではなく、自由に動けてできることが他にもある段階で、その選択肢を取るべきかと問いたいのです。

ただ父親にすれば、「そうだ」ということでしょう。

他に何かしたいこともなく、テレビを見て1日が過ぎればいいと思っていたのでしょう。

今は、入院ということになり、食事の時間もテレビを見ることも家にいる時ほど自由にはできません。

場合によっては、トイレの水が流せなかったくらいなので、病院ではオムツを使っているということもあり得ます。

予定は二週間ですが、生活スタイルの変化で、意識が変化するには十分な時間でもあり、父親が入院を経験してどんな風になって戻って来られるのか気になります。

というのも、こみちが介護士をしていた頃は、少人数を受け持つユニット型の担当で、仕事中は利用者とも接点が多く、些細なことでも関わることができました。

これが多床の大部屋になれば、利用者に対する介護士の数も違います。

それだけ利用者は自分でしなければいけません。

まして治療目的とする病院では、利用者を介護施設のようにケアするサービスは期待できないかもしれません。

自由時間が時に放置される時間になってしまうと、認知の低下がさらに悪化することも状況的には起こり得るからです。

これまでの経験から言えば、リハビリは開始から2ヶ月が目処で、それよりも長い期間になるとリハビリによる機能回復は現状維持になることが多かった気がします。

つまり、リハビリをして在宅復帰を目指すなら、絶対に家に戻るという強い意志でリハビリに取り組むべきでしょう。

ちなみに携帯電話から電話できなった父親ですが、今さっき家に電話があったようで、「いつ帰れるんだ?」と心配していたようです。