人生に「正解はないけれど」という話

 続けることで分かること

普段、自己主張をあまりしないような人が、ふと口にした言葉から、その人の生き方が見えて来たりします。

例えば「家庭菜園」の話題で、「トマトが好きで」という言葉から、その人がパスタ料理好きで休みの日には自分で作った野菜を庭から取って来ることを知った時に、「料理する」はすぐに出来ても、自分で畑を耕して野菜を作ることまではすぐにはできません。

言えばできるかどうかではなく、日々の暮らしにそんな楽しみを持って生きているということがポイントで、人生の正解というものではありませんが、「らしい暮らし」を手に入れていることが重要です。

「幸せ」は大きさではない!

例えば、何かビジネスで大儲けして使えるお金が「1億円」あったとしても、その人が手に入れられる幸せの「量」は変わりません。

欲しかったいろんなものが手に入っても、そこで終わってしまうとそれほど幸せは長続きしないからです。

つまり、幸せを長く感じるには、幸せの形をたくさん知っていることが重要で、それは経験から来るのでしょう。

働いたことがない人は、自分の時間を使って働くことを無駄に感じるかもしれません。

しかし、働いた時にしか感じられない「幸せ」があって、それが日々変化するものであれば、「明日も働こう」となるのでしょう。

その意味では、いろんな経験や知識を持つ、興味を持つことが大切です。

言ってしまえば、人生は無限に広がる選択肢のどれかを選びながら生きることなので、無難に選ぶこともできれば、工夫して選ぶこともできます。

どの選び方が良いとか悪いとかはなくて、自分がどうして「コレを選んだのか?」が明確なほど、幸せに近づけるように思います。

ある人を見ていて、その人が幸せそうに見え時と、勿体ない生き方をしているように見える時があって、それは多分、その人が気づいていない選択肢があるからでしょう。

能力や実力は十分に満たされていて、もっと別の選択肢が選べるのに、それに気づけなかったり、気づいても踏み切れなかったりすれば、小さな幸せを探せても、本当に見つけられたはずの幸せとは少し違ってしまうからです。

でも、年を重ねてくれば、そんな可能性も段々と薄れるもので、今の生活が自分の幸せに思えることが一番なのですが。

年を重ねるとなぜかドキュメンタリー番組などが好きになるのも、人生模様に答え合わせしたいと思うからでしょう。

それこそ、番組で見た他人の人生を羨ましく感じることもあったりしますが、実際に代わりたいのかというとそうではないものです。

やはり、どんな人生を歩んでも大変なことはありますし、楽しいことも違います。

意外と今の人生で見つけた幸せを手放したくはないので、どんなに幸せそうな他人を見ても憧れるばかりで代わって欲しい訳ではないのでしょう。

こみちの人生もかなり終盤で、無駄に過ごせる時間はありません。

今日をしっかりと生きて、明日もっといい一日にしたいと思いながら、毎日を感謝して生きています。

上手く行かないことやがっかりすることもたくさんありますが、それだって今を生きているからこそ感じられるもの。

やっぱり、いろいろなものや人に感謝して生きている方がいいと思います。