「幸せな生活」を見つけるために
成長と共に変化する「価値観」
個人が個人だけでは生きられない以上、社会とのつながりにどう向き合って行くのかが大きな課題です。
例えば資産家の家に生まれて、資金面では一切の不安がないとしても、生身の人間は食事や娯楽を手放すことはできません。
健康も同じで、三度の食事をしているだけでは「幸せ」にはなれないのです。
穏やかな波が打ち寄せる砂辺に立ち、遠くの水平線を眺めた時に、人は「広い海と空」を無意識に感じることでしょう。
この経験は学習によって学ぶものではなく、人が生まれながらにして持ち合わせた感覚です。
だから、波の音を心地よく感じたり、サーフボードでサーフィンをしたり、人はもう一歩だけ心地よさを求めて活動します。
海だけではなく、山にも同じような感覚があって、街中にも見つけることができるでしょう。
もちろん、自身の暮らす家や部屋にもあるはずです。
整理整頓
何もない殺風景な部屋が落ち着くという人もいるでしょう。
一方で、少し物があって、それらに囲まれていることで寛ぎを感じる人もいるはずです。
しかし、全く整理整頓ができていない、自身でも何処か心地よいとは感じない環境で暮らすのは幸せな生活とは言えません。
全てを排除するのではなく、「心地よさ」が感じられるくらいに整理整頓すると、無意識に気持ちが整い、心地よさに気付けます。
仕事選び
生きるために働くのであれば、好きではなく、苦ではないことを仕事にすればいいはずです。
仕事に生き甲斐を求めるなら、そのために精一杯頑張ることです。
好きなことというのは、自身が心地よさを感じられることですが、それが他の誰かにとって心地よいとは限りません。
だから時に、好きなことを仕事にした時に、余計に心地よさとは違うことを求められて苦労します。
しかしながら、好きだと思ったことも、実は見え方を変えると新しい価値観を発見したりします。
前に進むことだけが楽しかった人も、振り返ったり、脇道に寄り道したりすることで、価値観が変わるからです。
つまり、価値観は変化します。
変化させて行くものです。
逆を言えば、変化することを拒絶してしまうと、今以上の幸せも見つかりませんし、今の生活も幸せではなくなります。
老いるとは何か?
両親を見て、また他の高齢者と接して感じのは、誰もが段々と価値観に対する視野を失ってしまうということ。
言い換えるとそれが「老いる」ということでしょう。
日常生活がパターン化されて、同じことを繰り返すことはできても、変化に気づき立ち止まって考えることができません。
「これはされたくないからやめて欲しい!」
そんなことを頼んでも、「そうだっけ?」と改善するどころか、指摘されたことも覚えていないようになります。
「今、〇〇したい!」
そう思った時に、周りの状況を確認することができなくて、いきなり行動に移してしまうのも「老い」たからです。
つまり、高齢になってから、幸せな生活を見つけるのはとても大変だということ。
なぜなら、その生き方を変えることが難しいからです。
ということは、現役時代に好きなものや望む暮らしを見つけて、手に入れることが大切です。
若い人の中に老後を考えて、貯蓄する人がいますが、それ自体は悪いことではないと思いますが、「お金」があるだけでは幸せな生活はできません。
それ以上に「幸せを感じられること」を手に入れるべきです。
だからと言って大きなことを考える必要はありません。
読書や映画鑑賞、楽器演奏など、他にもたくさん始められることはあって、さらに言えばどう向き合って行くのかを変化させれば奥行きはいくらでも見つかります。
好きな作家の小説を読んで、その舞台となった場所を旅してみるということも「奥行き」と言えば言えるでしょう。
気候や高低差など、物語を読んだだけでは分からなかったことが、現地に足を運んでより理解が深まるかもしれません。
もしかすると、その旅をきっかけにカメラに興味を持ったり、絵を描くことが好きになることもあるでしょう。
70代くらいを高齢者と呼ぶとしたら、成人してから約50年という月日が、そんな幸せ探しに使える期間です。
長いと感じかもしれませんが、「一年」はそんなに長い時間ではありません。
なぜなら、何か始めてそれなりにできるようになるには、大体10年が一括りだからです。
まして成人して社会で働くようになれば、自分の時間は1日の内でもそんなに長くはありません。
何かに10年没頭するということも、そうそうできるものではないのです。
こみちの場合は、絵を描くことでした。
逆を言えば、それしかできなかったです。
でも、人生ってそんなものではないでしょうか。
吸収できる現役時代に、いろんな経験をして、幸せな生活を探して生きる。
何か一つでも手に入ったら、それは嬉しいことです。