人生をマラソンに例えてみたら

 40キロの距離を走れますか?

こみちはマラソン大会に参加したことはありません。

しかし、旅ランと言って、景色を楽しみながら自分のペースでランニングをし、旅気分を感じるという経験をしています。

小型のリュックにタオルと財布、水筒くらいを忍ばせて、歩きよりも少し速いくらいのスピードで淡々と走ります。

日ごろランニングやジョギングの習慣がないと、もしかすると1キロでも大変で、走るのが嫌になってしまう人もいるでしょう。

マラソンを人生に例えると、「どう走るのか?」は生き方そのもので、スピードもそうですが、頑張り具合やスタミナ、時に足の痛みなども考慮して、走り方を考えなければいけません。

アスリートのように、2時間少しで完走することだけが目的ではなく、どこでどれだけ休むのか、寄り道するのかも人生にはとても大切で、でも走り方という基本がなければ、その選択肢はどうしても限られてしまいます。

今回の記事向けに例えば話としてランニングの話を使っている訳ではなくて、本当に8ヶ月前からコツコツとランニングをして来ました。

最初は2キロとか3キロでも満足感があって、その内に5キロ10キロと長く走りるようにもなって、またスピードを上げて走ることもできるようになりました。

もちろん競技者としてではなく、楽しむために必要なくらいのレベルになって来たということです。

人生に比べると、ランニングはずっとシンプルなことで、言っても方法や手段が限られます。

でも、どう意識すると向上できて、選択肢を増やせるようになるかは、人生同様に簡単なようでも簡単ではありません。

例えば走ることを上手くなるには、股関節の柔軟性が大切です。

つまり、走るということだけでは限界があって、それに向けた準備をしなければ先には進めません。

人生で何かにつまづいた時に、問題解決だけが重要なのではなく、その周辺にあって大小様々なことに目を向けて、もう一度見直すことも必要だったりします。

時に自分では解決できないこともあって、だからこそ自分が納得できるか否かが大切な時もあります。

ここまで頑張ってダメなら仕方ないと思うことも、頑張っていないからこそ、どこかで未練も残るのでしょう。

ある意味、それさえも含めて、覚悟できたらいいかもしれません。

結局は、その結果を飲み込めるかということで、最上級は無理でも、ここくらいまではできるというラインまでできたらいいはずです。

100キロ走れる人もいるでしょうし、1キロも難しい人もいます。

距離だけではなくて、じゃその自分が走れる距離で何をどう見つけて感じて、満足感に変えられるのかが大切です。

同じ道を一年ずっと走れば、単調に見えても四季の移ろいを感じます。

100キロもはしれたら、景色だけでなく、温度や風の強さも分かるでしょう。

別にランニングでなくても、趣味を通じて人生を学ぶことってできるはずです。

今日も5キロくらい走って、7キロくらい歩きました。

約15000歩。

それがこみちの歩いた歩数です。

頭であれこれ考えても答えは出なくて、一歩ずつ走って分かること、納得できることがあります。

疲れ果てて、もう動けないくらいがんばったら、そんな自分を受け入れられるでしょう。

それでいいように思います。