巷で話題になる「煽り運転」をされた時の話を浅く掘り下げる

 獲物を追う性分?

こみちの運転は鈍い。

昔は、バイクにも乗っていて、カーブが見えて来ると大好きなGPレーサーになれた。

今とは違い、400ccを超える排気量のバイクは「限定解除」と呼ばれる試験に合格しなければいけない。

学生時代に中型二輪免許を取得し、その後は免許センターで開催される「限定解除」試験に通い始めた。

車とは異なり、バイクはバランスを重視する乗り物。

試験では、いきなり与えられたバイクで、決められたコースを走破しなければいけない。

限定解除に挑む志願者は、誰もがバイクに乗ることは問題なくできる。

合否が決まるのは、各コースの課題を安全に安定した方法で走り切れることだ。

例えば、ヘルメットは丸く、どこを向いているのか遠目には分かり難い。

試験官はコース端の建物にいて、そこから無線で指示を受け、受験生はそれに従う。

受付順に決められた受験の順番を待って、コース脇に受験生たちが集まり、ゼッケン番号「1」番から試験が開始される。

「ハイ、お疲れ様でした。スタート地点戻ってください」

スタートして外周を一度回ったら、その日のコース設定にしたがって課題が始まる。

平均的なライダーは、2つか3つくらいのところで、試験が中断しスタートに戻される。

もちろんそれでは合格にはならない。

こみちもそんなライダーの一人だった。

20人くらいいる受験生の中で、一人か二人が試験を最後まで達成し、再びスタート地点まで走破する。

コース脇で見つめていた受験生たちから「ワァ〜」と低い声の歓声が起こる。

バイクを降りてからも受験生は冷静で、その後は試験官が待つ建物へと向かう。

「ご苦労様でした」

受験生と試験管のやり取りは、バイクにつけられた無線機からも聞こえる。

そのやり取りを順番を待つ受験生たちが静かに耳を傾けている。

「ありがとうございます」

「悪くはなかった。でも、もう少し安全確認をしっかりとしないとダメだ」

受験生はもちろん、順番待ちをしている他の人もその会話を肝に銘じる。

「では合格で。センター内の受付に行ってください」と言われると合格になる。

でも、何回に一度は、スタート地点まで戻れても、「メリハリが足りない」「安全確認が不十分だ」と言われたりして、不合格になる。

試験を終えて、自分の400ccのバイクで帰宅する時は、試験で使った750ccのバイクとの違いを感じる。

圧倒的な加速感と重厚な乗り味。

走行中に出くわす大型バイクのライダーは、間違いなく美しいフォームでスマートに街を駆け抜ける。

ある意味、だからこそあの「限定解除」試験に合格できたのだろう。

こみちが大型バイクに乗れるようになって、その走り方を誰かが同じような思いで見ているように思ったことがある。

こみちは、原付に始まり、125cc、400ccと乗り継いで大型バイクに乗れるようになった。

操作を覚えたら、バイクの重さは走っている時に感じない。

むしろ大型バイクの方が安定して走ることができる。

でも、力技で操ろうとすると、重く大きな重量級のバイクは不安定になり、時に転倒にも繋がる。

ステップアップすることで、バイクという乗り物馴染み、さらに大型バイクに行き着いて、その醍醐味や圧倒的なパワーに満足感が得られる。

大型バイクに乗るようになって、中型や小型、原付バイクに乗っているライダーを見つけると、時に危ないと感じてしまうことがある。

バイクは便利な乗り物だけど、いかに他のドライバーから認識されるかが大切で、不用意に走ってはいけない場所がある。

もちろん道路交通法に触れることではないけれど、自分の身を守り、相手に危険を予知してもらう意味でも、走行方法には一定の知識があった。

だからこそ、自分が車を運転している時にも、ワンテンポ遅いタイミングでブレーキを踏み込むドライバーが後ろに迫ると気になってしまう。

俗世間では「煽り運転」と言われるほどの車間距離で迫られると、むしろ抜いて行って欲しい。

走行タイムと競うサーキット走行ではないから、ドライバーはラップタイムよりも安全性を重視していて、アクセルペダルをベタ踏みして加速はしない。

スッと加速して、スッと減速し、相手にも分かりやすい方法で走れば、周囲の人にも存在が伝わる。

でもそれは、運転していれば勝手に身につくものではない。

むしろ、学習によって蓄積される技術だろう。

昨日は、途中から急に車間距離を詰められて、バックミラーに迫って見える後続車に驚いた。

車種はスバルの白いインプレッサ。

スポーツ走行を得意とする車だ。

スバリストとも呼んでいて、速い車を安全に楽しむ人を「スバリスト」と呼んでいる。

これまでにも、スバリストが運転する時に、「スバルの車を運転している人はかっこいいなぁ」と思った。

それはつまり、限定解除の苦労で経験したこととも重なるからだ。

高いポテンシャルの乗り物だからこそ、より高い安全性で運転することの重要さに気づく。

「近いって」

ぶつけられないかと不安になる距離で、近づく後続車とは、早く離れたかった。

きっと顔は見えなかったけれど、インプレッサの高い加速感が嬉しいのだろう。

少し車間距離を作っては、急へ加速してみたくなってしまうのだろう。

こみちもバイクに乗っていたから、その感覚はよく分かる。

でも、前方の車が不意に停車することだって無いとは言えない。

そのタイミングでは、危険を避けきれないだろう。

なぜ何度もヘルメットが丸いから、左右確認する時に、大袈裟にしっかりと頭を動かせと言われたのか分かる。

目線でチラ見しても、周囲の人にはどこをどう確認したのか伝わらない。

その確認動作が、次のアクションを予測させ、周囲の人にも無意識に伝わるものがある。

それこそが安全運転の一歩だろう。

久しぶりに煽り運転に遭遇し、とても怖かった。

仕事やプライベートでの不満を運転しながら発散しているのか、煽り運転は自制心を狂わせて、欲望の方が強くなっている時に起こる。

でもそれなら、サーキット走行に行けばいい。ジョギングを始めればいい。

安全を担保できるストレス発散の方法は他にもあるだろう。

長くバイクに乗っていたから、バイク事故に遭遇したこともある。

「そのタイミングは…」

前を走るライダーの走行を見て、あまり近づかないようにすることがある。

それはプレッシャーに感じて、無理な走行をして欲しくないからだ。

十分に速度を落とさずに交差点に進入し、右左折しているライダーを見て、ヒヤリとしてしまうことがある。

なぜなら、横断歩道を渡ろうとしている人が驚いて立ち止まっているタイミングだから。

でも、そんな周囲の驚きにも気付かずに走り去るライダーがいる。

それこそ、自動運転が普及し、車が安全性を確認してくれたらと思う。

行き先だけをインプットして、あとは到着まで車内で待っているだけだ。

怖いな。と思う煽り運転は、互いのために無くせないものだろうか。