保身しかない父親へ

 昨夜の出来事

昨夜、ちょっとした家族間の問題が起こった。

その解決には、家族の意見が欠かせない。

そこで父親が、「大丈夫だよ」という。

「何が?」

父親以外のみんなが顔を見合わせたのは、問題のポイントさえ理解せずに、「大丈夫」というひと言で解決させたこと。

ある意味、家族に感謝もしなければ、家族を思うこともない。

今の生活を続けるだけだと、もう自身の人生をそう思っているとしか受け取れない。

トイレで便座を濡らしてしまう父親

便座に腰掛けて用を済ませている間に、便座も濡らしてしまう。

厄介なのは、汚してしまうことではなく、汚したままで立ち去ることだ。

言い換えると、洗った食器もどこでどんな風にして置かれているのか分からない。

ポットの湯でさえ、どこから入れた水なのかも疑ってしまえる。

テーブルを拭いた台拭きを、洗うことなくタオル掛けに戻してしまう。

「ダメだよ」と注意しても、面倒くさいから直すことができない。

パッと手を付けたがる癖

ホールケーキのいちごが1つなくなっていたりする。

「自分の分を食べただけ」と言い訳する。

でもこれからみんなで食べようという時に、あるべきものが無いというのは気持ちがいいものではない。

でもそれ以上に、先に摘んで食べることに快感を感じる父親なのだ。

購入した車が家に届いた時も、先に運転席に座っていたのには驚いた。

「何しているの?」

「いい感じだぞ。乗ってみろう!」

父親はそんなことをしても一切疚しく思わない。

思ったらしたくて、我慢できないのだ。

特に家族のものは自分にものでもあるという感覚で、買っておいたアイスクリームもいつの間にか無くなっている。

「食べた?」

「知らない」

「お母さん、食べた?」

「お父さんでしょう!?」

「いや食べてないって」

「嘘だ」

気持ちが収まらなくて、「本当に食べてない?」と聞くと、今度は「どうだったかなぁ」と言い出す。

そして「食べたかもしれない」と訂正する。

「何で嘘をつくの!」と聞けば、「覚えていないから」と言い、保身的な態度が先に出る。

家族としても、父親とのコミュニケーションが面倒で仕方がない。