これからの生き方を模索するために

 成功者の言動は常に「正しい」のだろうか?

最近、「成功者」になれるためのポイントが変わってしまったように思う。

言い換えれば、「時代が変わった」ということに尽きるのだが、それだけ未来が予測できない結果を示した流れなのだろう。

こみち自身のイメージとして、1、2、3、と進んだら4や5にどう進むかを目指して来た。

もう少し説明するなら、1から5、さらに10までの流れを辿り直しても、そこに違和感や疑問がなくて、変化に正当性が見られるのが特徴だった。

ところが、最近の成功者のパターンに多いのが、3から2.5とか2.8とは、一見すると変化に見えるけれど、見方によっては後退していることがある。

そんな場合の特徴は、どこかに大きな違和感があって、でもそれ以外の部分には正当性が感じられる。

具体例を挙げると、ある場面を説明する時に、冒頭で「問題点を徹底的に解説します」と宣言して始まったのに、その状況を複数の人が順番に説明し、その中の一部の人が「ある理由で素性は言えませんが」とシークレットにしつつ、でも「事実」だと断言してくる。

このような類のパターンには、そのシークレットとして扱われていない部分こそが、「違和感」で、つまり徹底的な究明と言うならば、その問題に少しでも関わる部分を全面的に公開しないと、全貌の「解明」ではなく個人的な「見解」になってしまう。

スポーツ選手のケガによる欠場

応援しているスポーツ選手がケガで欠場となってしまうと、ファンとしてはかなり心配です。

選手生命に関わるような大きなケガであるほど、スポーツ選手故に避けられない部分と、練習メニューの安全性、選手個人の健康管理など含めて、活躍が長く続いて欲しいと願う気持ちに変わりありません。

昨今のスポーツ選手の中に、競技の普及を目的として例えばYouTubeなどで日常生活や日頃のトレーニング、さらにはファンとの交流などをコンテンツとして発信し、さらに多くのファンを楽しませてくれています。

しかし、中には激しい練習シーンを紹介するあまり、例えば試合欠場の原因になってはいないのかと感じる選手がいます。

プロスポーツ選手として100。ファンサービスは普及目的。

というケースがファンとしては理想ですが、もしかすると「両立」を目的として、結果的に「試合欠場」という事態になってはいないのかと心配します。

もちろんファンとしては、選手が試合で登場する以外に、練習している場面や食事、談笑、何度も発信してくれたら覗いてみたくなります。

しかし、あまりにそんなファンサービスに趣きを置くあまり、プロスポーツ選手が結果的に欠場してしまったとなると、その選手だけではなく、そのスポーツ全般に何か違和感みたいなものを感じるのです。

できると言うなら、もらえれば嬉しい。

でもあげようとしたことで、負担になっていたと言うなら、貰えなくてもよかった。

それがファンの気持ちです。

つまり、プロスポーツ選手が試合という場所で活躍してくれることがファンとして望むことであって、無理をさせてまで友だちみたいに隣りいて欲しいと望んでいる訳ではありません。

こみちの母親、そして副業解禁

こみちの母親は、昔から営業ウーマンとして働いて来ました。

子どもから見た母親は、知識豊富でも口が上手いタイプでもありませんが、営業の成績は長年、かなり上位です。

自己啓発本などで、営業に関するレクチャーがテーマになっていたりします。

しかし、一般的なセオリーを母親が実践している訳ではありません。

むしろ「正論」では言い表せられないから「営業」は奥が深いのだと思います。

でもそれって、「営業」だけの話ではなくて、異業種でも同じことが言えます。

つまりプロスポーツに於いても、「正論」や「常識」で判断するのではなく、ケースバイケースなのでしょう。

ただ、業界として確立させ、長期にわたって継続させるためには「公共性」や「明瞭性」のように、違和感みたいなものをできるだけ取り払い、誰もが安心して楽しむ工夫が不可欠です。

営業のように、会社組織の一部ではあっても、まだ個人的な活動で収まるようなケースはまだ納得できるのですが、これが業界全体的の基礎となって行くと考えれば、統一された指針が必要でしょう。

ビジネス界で長く副業禁止が謳われていたのも、「本業」ありきたりの働き方が基本だったからです。

しかし、「自分で稼ぐ」ことが当たり前になり、それこそ「正当性」を貫くよりも、「収益性」を優先したスタイルが増えました。

結果的に、プロスポーツ選手であっても、「試合で勝つこと」が一番ではなく、ファンサービスやグッツ販売など、全体として稼ぐ方法の一環となっているのでしょう。