「生きる目的」があるということ
遠い未来に対して思うのももちろんだけれど、「午後に「おやつ」を食べる」という些細なことでも「生きる目的」になる。
中高年になると、「おやつ」が「生きる目的」にもなれば、「特に何もない」とスルーされることにもなり得る。
しかし、「生きる目的」を無理しても見つけることが大切で、あるとないでは精神的な安定度が異なる。
夫婦喧嘩から
あまり喧嘩の原因を覚えていないが、互いに明確な決断をしなかったから今も妻と一緒に暮らせている。
昨日、妻が仕事も休みだったので、1日を一緒に過ごした。
でもこみちはいつものように早朝に起きて、朝ごはんを作るのは変わらない。
「眠い」「だるい」
久しぶりの休みで、仕事の疲れも溜まっている妻は、朝から不機嫌だった。
ついこの前、「親子丼を食べたい」と言っていたから、朝は特別に「ミニ親子丼」を妻には用意した。
「何時だから起きろ!」とは言わない。
記事を書いたりイラストを描いたりして、午前8時ごろまで妻が自分で起きてくるのを待っていた。
母親は「嫁なのに…」と小言を口にする。
でもそこで母親たちの目を気にしていたら、妻はストレスを爆発させて離婚に至るだろう。
それだけこみち夫婦の関係が微妙なことに気づいてくれたら嬉しいが、母親の性格からして気づいてくれることはない。
結論を言ってしまえば、こみちがもっと稼いで、家事もして、両親の将来や今のサポートをして、妻には尽くして、それらが当たり前の目標だろう。
妻に仕事を頑張ってもらっているから、できるだけ家事などの負担を軽減させたいと思っても、そこは一方的な想いであって、妻にとっては特別な行為ではない。
妻が仕事を休みの日、でもこみちは仕事に行く日、妻が朝起きて朝食を作ることはしない。
そんな日もやはりこみちには朝食作りがあって、朝起きて仕事から帰るまで時間に余裕は一切ない。
実情、こみちが朝起きることで両親も妻も朝の時間に余裕ができている。
でもそれが当たり前に感じてしまうと、仕事をセーブしているこみちは父親同様に何もしていないという扱いになる。
「父親の仕事探し」と言っても
手先の器用な父親は、黙々とできる仕事が得意だ。
そんなこともあって、ボケ防止を兼ねて内職の仕事を探していた。
でも、実際に仕事先が見つかっても、「できるの?」と母親が問い掛け、父親は何も言わないまま展開が止まった。
洗濯物を干すことさえ、父親は一人でできない。
「おい、エプロンだ!」
少しでも面倒なことがあると母親を呼びつけ、いつの間にか二人作業になっている。
「お父さんって、現役時代、仕事できたの?」
思わずそんなことを聞いてみたくなる。
「内職をする」ではなく「してもらう」くらいの覚悟がなければ、父親が仕事をすることはできない。
面倒に思うと、もう放置してテレビを観ているだけの人になってもらうしかない。
老化によってなのか、そもそも父親の性格なのか、とにかく現実的には「何もやり遂げられない」のだ。
それぞれにそれぞれの理由や背景がある。
それ故に動かせないこともある。
全体としては、下降しているのだが、みんなで話し合い力を合わせて生きることはもうできない。
と言うのも、「今後についてどう考えているの?」と希望や理想を問うても、特に両親からは何も出てこない。
今日を、昨日と同じように過ごし、明日は今日と同じ。
そうした先に「未来」があるから。
今、少し無理をしても「これだけはしておこう」と言う展望が無いから、いきなり「未来像」を尋ねられても困惑することしかできない。