中高年のこみちが「心掛ける」べきこと

 今を受け止める

長く生きて、できるようになったこともあります。

でもその多くは、若い人ならすぐにマスターできてしまうことだったりします。

つまり、改めてこみちの存在価値ってなんだろうと考えた時に、「周囲の人が受け入れてくれる」人になることだと思いました。

不平不満も探せばいくらでもあります。

しかし、それを責めていられるほど、こみちは器用な人間ではないですし、それ以上に多くの人から支えられていると気付かされます。

介護士だった時の体験

高齢者の介護では、時に生命に関わるような出来事に遭遇します。

介護士のミスが原因ということもありますが、不可抗力で避けられないアクシデントも少なくありません。

そんな場面で、介護士の初動が命を救うということも多く、不安や焦りで手が震えてしまうような状況でも「成し遂げる」ことが重要です。

例えば、高齢者が首の辺りを両手で押さえて苦しんでいた時、驚いて逃げ出せば結果は明白です。

もちろん、他のスタッフや救急車の手配という方法もありますが、何よりその場でできることを冷静に判断するべきでしょう。

具体的には、喉を詰まらせているような場合には、上半身を立てて背中を叩くという方法も思いつきます。

いろんなことを考えるだけに、誰もが焦って慌ててしまう場面ですが、そこでどれだけ踏ん張れるのかが重要です。

一般的の場面で、例えば介護ではない職場で働いている時に、嫌味な上司に愚痴を言われていたとしましょう。

そのこと自体は、とても不快な気持ちにさせますが、もしもそんな上司がいきなり意識を失って倒れてしまったら、不快かどうかはどうでもいい話です。

つまり、その場面で何をするべきかによって、人の生命や健康が損なわれてしまうかもしれないからです。

そんな風に考えると、「何が大切何か?」という項目が一変します。

目先の小さなことにこだわっても、肝心な時に役に立たなければ意味がありません。

一歩一歩生きていく!

結局のところ、不器用なこみちにはアレもコレもはできません。

だからこそ、一歩ずつ進んでいくしかありません。

でもそのことに気づくと、不安や焦りは減りますし、決断に迷うこともなくなります。

今日はそんなことを考えた1日となりました。