中高年の闇 「抜け出せない現実」

 昨日の晩御飯

後期高齢者に該当する母親が、夕飯の準備をしてくれる。

週に何度かの仕事もあるので、年齢を考えると負担も大きい。

時間的に余裕があるこみちが、彼女の家事も賄えないわけではない。

でもそうしないのは、今の両親は支えれば支えるだけ「家事を増やしてしまう」からだ。

「家事を増やしてしまう」とは、例えばトイレ掃除をする時に最低限の作業があるだろう。

それは誰が、どんなタイミングでしたとしても外せないポイントだ。

こみちなら、それを最優先する。

残った時間で、個人的に気になる作業を追加する感じだ。

一方で、母親の場合、自分の気になる部分から始める。

その内に時間が無くなって、慌てて必要な作業へと進んで行く。

だからいつも大変そうに見えてしまう。

「大変そうだ」と手を出すと、気づけば母親は思うままにいろんなことを始めている。

昨日の晩御飯は、近所で評判の餃子専門店で買った「焼き餃子」を食べた。

でも、餃子は買って来たが、その店で評判の「タレ」は買って来なかったという。

もう「何で?」と聞いても答えが返って来ないから、「そう」と言って流してしまう。

「いつものと違う?」

母親が比べるのは、よく食べている「味の素の冷凍餃子」との比較だ。

「美味しいよ。ラーメン屋の餃子って感じ。どう?」

妻に振ってみたら、「そうね」と言って餃子に手が伸びていない。

あとで妻に聞くと、その店の餃子は「タレ」が独特らしい。

その意味では餃子だけを食べても「味」は分からないという。

「食べられたらいいじゃない!」

何かにつけて、母親はそんなことがある。

今回、父親が「(餃子は)いらない」と言っていたのは、もしかするとそんなやりとりがあったのかもしれない。

こみち家では

「本格的」なことができない。

しっかりと準備しても、最後の最後にどこか誤解があって、「まぁ、仕方ない」で済ませてしまう。

やり切れないから、次回も同じ失敗をして、それがいつの間にかこみち家の「常識」になる。

それはそれで良い部分ではあるけれど、何か変えていかないといけない時は、変化できなくてストレスが溜まる。

理想を言えば、中高年になるまでに、将来を見据えた生き方になっておくべきだ。