今朝、自宅の廊下で倒れ込んでいた父親に思う

 家族会議からの

昨日、家族会議を開いて、それぞれの気持ちや覚悟を話し合いました。

父親は少しストレスから認知症の傾向なのか、「オレが!」と語り出したり、「一切のお金は出さない」と言い出したりで、家族が聞いていて「大丈夫?」という感じです。

今でも、足が悪く、まともに300メートル歩けない父親が、一人で電車に乗って叔母に会い、今後の相談をすると言いますが、今朝、こみちがいつものように朝食を作っていたら、廊下でもの凄い音がして、父親が倒れ込んでいました。

「大丈夫?」

「ふらふらする」

朝、トイレが近く、慌てて起きたこともあって、意識がぼんやりしているのか、平衡感覚が乏しいのか分かりませんが、叔母の介護に関わるどころか、自身のことさえまともに出来なくなってします。

どちらかというと、意地でも頑張るというタイプではなく、甘やかされて嬉しい人なので、働かずにご飯も作ってもらい、一日中テレビを観て終わる生活から抜けられません。

その癖、「俺はポックリと」と言ったりするものの、本当に意地でも踏ん張る姿は微塵もありません。

前回も触れましたが、母親も血尿が出て、診察を受けましたが、依然として背中に痛みがあるようで、腎臓に問題を抱えている可能性が否めません。

腎臓の機能が低下すると、解毒された尿を適切に排出できず、毒が体に残ってしまう可能性もあります。

これは、入所者の方にも起きた症状で、それこそ腎臓の機能を補うために透析が必要です。

入所者の場合、そんな延命措置を行わない方針だったので、段々と毒素が体をめぐり、それこそここでは詳細に記載できないような事態になりました。

母親も同じとは言いませんが、ストレスを溜め込んでしまえば、それだけ思わぬ身体の不調に繋がることもあり、叔母の件、父親の件と対処しないといけないでしょう。

しかし、父親は結局、みんなが出掛けて頃に起きて来て、飯を食べてテレビを観るという生活で、足が悪いならどんな対策があるのか、自分から行動出来ず、現状を尋ねると「頑張っている」と意気込みの話に終始します。

もうお気づきかもしれませんが、「できる」という話をいくらしても意味はなく、「やった」が大切です。

父親と話と、昔はこうだったと思い出を語ってくれるのですが、最寄り駅までも歩こうとしない父親に何ができるでしょうか。

余った時間を使って内職でもして欲しい。

そんな妥協案も、面倒だし、もっと稼ぐ方法を知っていると繰り返します。

でも、この半年、一年、父親が働いたことといえば、家の草木を切ったお駄賃くらいで、それも1日で全部終わらせたことで、身体が痛いとのたうち回り、他のことは何も出来なくなりました。

それでは何かを頼むこともできませんし、まして他人と一緒に働く適応力も無さそうです。

正直なところ、今のこみち家で叔母に100万円近い援助は難しく、その支払いを父親の今後に使いたいのが本音です。

それだって、父親は叔母のことを助けられなかったとしても、「本気で仕方ない」と思うでしょうし、見方によっては自分の健康を最優先に考える傾向にあります。

母親に血尿が出て、それだけストレスもあると説明しても、一切の生活を変えることができず、三度の食事を当たり前のように食べて、体調が悪いと寝てすごし、少し落ち着けばテレビです。

今朝、妻も少しストレスを抱え、仕事へと出掛けました。

試験前だからという割に、今週になって連日数時間を家族会議に割いています。

そして、父親のプライドや昔話があって、でも経済的には支援できなくて、そこは母親の頑張りやこみち夫婦の持ち出しです。

おまけに父親の介護も始まろうとしているだけに、既に抜け出せない状況になっていると感じます。