人は人を救えない!?
先に身も蓋もないことを言ってしまうと、「人は人を救えない」という事実。
確かに、名医が難病を患う患者の一命を取り留めると言った話はあります。
しかし、その時に成立するのは「時間」という条件が伴います。
例えば、手術そのものが10時間も掛かる場合、それは医師にとっても大きな負担ですが、絶対に無理という時間の長さではありません。
一方で、介護における基本は、24時間が無期限で続きます。
そう考えると、一人の利用者を安全に支えるにしても、スタッフは最低でも3名はいないと維持できません。
では、一人の介護士にどれだけのことができるのかと考えると、一回の勤務で8時間から16時間、時に残業も加わって20時間近い労働になることもあるでしょう。
しかし、次の日も、さらに次の日も、同じようなペースで働いていたら、きっとその介護士は大きなストレスを抱えてしまうはずです。
つまり、どんな介護士も、「自分だけで解決しようとしない」というルールを守るべきです。
そうでないと、ある日を境に急にケアが不完全になったり、いい加減なものになったりします。
介護士として、充実した労働を発揮するには、施設運営のあり方に依存するしかありません。
例えば、スタッフ間の目標意識や、情報交換、さらには課題や問題点などを絶えず共有しながら、それぞれの担当で適切な成果をあげることです。
介護士の問題点
介護士に起こる問題点として、介護士として働くにしても、例えば介護福祉士の資格を持つ人もいれば、無資格で働く人もいるでしょう。
介護福祉士だとしても、オムツ交換が不得意だったり、寄り添いや共感を不得手にしている人もいるはずです。
なぜなら、介護福祉士になるための試験では、介護士として働く際に必要な全てが問われるわけではないからです。
特に、介護士に不可欠な「介護施設のあり方」は、個人ではどうにもできない部分でもあります。
こみち自身、しばらくぶりに職場に出た時は、決まって以前とは異なる劣化に気付きます。
特に、利用者の様子や表情に表れるのですが、いつの間にかスタッフ同士で偶発的に生まれた意識が、そもそも施設として目指すべき指針にそぐわないことだからです。
具体例を挙げると
ある利用者は、精神的にとても不安定な一面があります。
朝、起きたものの、何かの弾みでみんなと一緒に食事することが嫌になりました。
そんな時にある介護士がその利用者に「ご飯の時間ですよ」と伝えると、「ご飯を食べたくない」と返事しました。
一般的な介護策としては、何らか理由を伝えて食事するように誘導します。
しかし、その利用者は感情的になり「もう出て行って!」と介護士との接点を拒んだとしましょう。
介護施設の場合、感情的になった利用者の態度を介護記録に記し、さらに医師や看護師に相談して、利用者の高揚した精神を抑えられないか検討されることだってないとは言えません。
問題は、介護士のアセスメント力にあるかもしれません。
つまり、利用者が何に対して不安や戸惑いを感じているのか、また具体的に何もない時でも不安なることがあると理解していれば、介護士が一方的思い込みで判断することはないはずです。
しかし、介護士と言っても、そこに至るまでの経験や目的は大きく異なります。
それこそ、ある介護士がアパート暮らしなら、戸建てを持つ人の気持ちは想像でしか分かりませんし、車だって運転できなければしたつもりで想像するでしょう。
自身の経験だけでは察することができない時に、介護士がどんな風に取り組むのかが大きな課題です。
特に、個人で考えるのも大切ですが、実際には施設としての方針が不可欠なのです。
つまり、施設長の経験が浅い場合や、スタッフそれぞれの想いに理解を示せなければ、施設としてまとまることもないでしょうし、介護士がやる気ややりがいを感じることもありません。
そして、結果的に介護現場がどこか行き届いてはいない雰囲気が目立ちます。
寝返りさえできない寝たきりの利用者に
介護施設には、要介護5と呼ばれる最も重い介護度合いの利用者が入居しています。
例えば、1日の中で30分以外は、ベッド上で寝たきりで過ごすというケースもあります。
おまけに、経口摂取が出来ず、経管栄養になって栄養を取り、排泄もストーマとカテーテルの併用となれば、これまで続けてきたような暮らしは失われます。
少なくとも、多くの介護士には経験ないことで、だからこそどのように理解し、利用者と接して行くのかが問われます。
有りがちな介護アプローチは、排泄や経管栄養の手法を理解することで、ケアそのものを理解したつもりになること。
しかし、これは実際に起こりますが、利用者はとても冷たい視線を向けてきます。
本気で見つめ返せないほど、寂しい視線です。
「自分はなぜ生きているのか?」
少なくともそんな疑問を感じたこともあるでしょう。
ここで隅々まで紹介することはできませんが、とても難しく、奥深い問題がいくつもあります。
そして、介護士には無縁なものではなく、やはりそれぞれが向き合わなければ利用者の苦しみに寄り添うこともできません。
逆を言えば、精神科医や心理士のような専門知識もなければとても理解できないでしょう。
つまり、人が人を救うなど、そう簡単にはできません。
実際、こみちが介護士として働いて思うのは、できないことや至らないことなどで、満足にできたことはほとんど無評価になってしまいます。
それくらい、介護現場で実現したい理想があって、その高みと実際とのギャップに苦しみます。
かと言って、「介護はこうすること」と決めつければ簡単ですが、その一方で利用者の不満は拭えません。
もしも介護が迎え待ちの繋ぎだと言うならそれまでですが、介護が必要になっても自分らしく生きることを目指すなら、そのギャップを乗り越えるしかありません。
ただ、それは途方もなく大変で、少なくとも別の仕事なら十分に成功できるレベルでも、到達できないくらいです。
役に立てないジレンマ
ある意味、利用者に人生を捧げるくらいの覚悟でもないと、介護士は理想の介護を手に入れることはできません。
でも、そこまで目指している介護士がどれだけいるでしょうか。
言うなれば、せめて勤務中は全力で頑張ろうというくらいが限度で、休みの日は精神をリフレッシュでもさせないと、ストレスが蓄積されます。
正直、やりたくてもできそうにないくらいで、それくらい時間や人手が足りません。