自分だけ得をしようとする父親に思う

 今朝の食事で起こったこと

日頃からストレスが溜まっているこみちですが、仕事に行くので朝食を食べようとリビングに降りてみると、すでに父親がテレビの前に座っていました。

「食べたの?」

「ああ、食べた」

確かに朝に用意して置いた皿が二つ減っています。

「ご飯は?」

すると遅れて母親もリビングに入って来て、「食べたよ!」と答えました。

「ご飯はどうした?」

「温めたよ。もう冷めてしまったんじゃないの?」

テーブルの冷やご飯が残っているからです。

しかし、こみちが気にしているのは冷めているかどうかではありません。

すでに両親の食事が終わっているとしたら、昨晩の冷やご飯がまだかなり残っていたからです。

しかも、その減りは一回分。

「本当に冷やご飯食べた?」

「食べたよ。レンジで温めたけど、もう冷えてしまったのよ」

温めたという母親は自分が責められていると思い、必死に温めたことを繰り返し説明します。

そして、父親はしれっとテレビを観ています。

思えば父親にはいくつもエピソードがあって、これはもう何年も前ですが、例えばこみち夫婦で買った新車で両親宅を訪れた時に、エンジンがして外を見たら断りなく試乗に行ってしまうというようなことを平気でするのです。

「断ってからにしてよ!」

「心配ないさ。ぶつけたりしない!」

そんな論点の違いなど、昔から当たり前に起こっていました。

自分だけ得をしたい心理とは?

思うに満たされていない感情があると、人は「得をしたい」と思うはずです。

しかし、過去のどこかで得を感じたら、今はそうでなくても不満は起こりません。

ところが、過去の体験がすぐに記憶から消えてしまうと、「オレは損をしている」という不満だけが膨らみます。

冷やご飯の件など、実際にはどうでもいい話です。

しかし、「今日は温かいご飯を食べたい」と思ったなら、ウソをつく必要はありません。

ウソをついてでも、自分だけ得をしたいという感情に違和感を覚えるのです。

車の試乗も同じで、「乗っていいか?」と言われて断ることはないでしょう。

しかし、鍵を勝手に持ち出し、乗ってしまう心理には、家族のものなら自由にしても許されるという感覚があるからです。

「半分食べる?」と、お裾分けしたい時も、父親に言う時は別にもう一つ買っておかないと話が変わってしまうからです。

「食べていいぞ!」

「食べてって、こっちがいうセリフでしょ!?」

そんな論点のすり替わりが頻繁に起こります。

昨日も家族会議として叔母のことを話そうと思っていました。

しかし、テレビを観ている父親は、本当に面倒だったみたいで、「その話はしない!」と言ったので、こみちも面倒になって自室へと戻りました。

退院までにして欲しいことはたくさんあるのに、どこまで自分で理解しているのか、話が見えません。

聞けば聞いたで、「そんなに心配ならお前がすればいい!」と言い出しそうで、何だかストレスが溜まります。

休みの日に向こうの担当者や行政の担当者との打ち合わせに同行しようかと思う瞬間はありますが、「当たり前」を感じる父親を見ていると何だか嫌になってしまうのです。

昨夜、こみちが米とぎして炊いたご飯を、しっかりと自分だけは食してしまう父親に、今朝も何だか疲れてしまいました。