「依存」を促す介護術

 「介護」が大変な理由

太ってきた父親のお腹を見て、「もう少し運動をしたら?」と母親はいいます。

しかし、膝に痛みがあり、もともと運動が苦手な父親は一向に運動をしません。

むしろ、テレビを観ては通販番組で健康食品を注目するという流れが増えました。

介護士の立場から言えば、どこにその人の「らしさ」を求めるのかになります。

もう十分に生きたから、「最期の数年は思うがままに生きてみたい」という生き方を頭ごなしに否定するべきではないからです。

しかし、寝たきりになってしまうと、家庭で全面的に介護するのは容易ではありません。

老いた母親の体力でそれが行えるとも思いません。

そうなる可能性を考えるなら、「寝たきりにしない」という介護が不可欠です。

「これ食べる?」

母親は無意識のうちに父親を「依存」させます。

「1つだけ」

そう言っては口に食べ物を運びます。

太ってしまう理由が運動不足にあるとしても、実はそればかりとは限りません。

というのも、「介護」をしている人の多くは、「報酬」を望みます。

この「報酬」とは金銭的な対価ではなく、時に「自身のアイデンティティ」を肯定されることだったりします。

もしも父親を痩せさせるなら、母親は安易に食べ物を勧めるべきではありませんし、自身も一緒になって少し甘いものを控えるべきでしょう。

時には「散歩に行こう」とか、「買い物に付き合って欲しい」とか、外出する理由を見つけることも必要です。

母親に勧めても、「お父さんは嫌がる」と答えます。

「でも痩せて欲しいんだよね?」

「そりゃそうよ。またお腹が大きくなった」というのは定番です。

なのに、こみちがいないと母親は父親にあれこれとオヤツを渡します。

ある意味、母親は「依存」させたい人で、父親は「依存」させられている人という関係なのです。

介護で一番難しいのは、利用者との距離感。

大抵、介護士が面白くなってくる時は「やり過ぎ」です。

自立支援が求められる以上、取っ掛かりくらいは支援しても、できる限り利用者本人の意思で行ってもらうようにしたいからです。

しかし、介護士だって褒められたいし、他のスタッフよりも利用者から支持されると喜びに変わります。

「依存」されることを望んでしまう傾向も否定できません。

恋愛でも同じ!?

相手にとって自分が無くてはならない存在になると、相手から依存されます。

こちら側が望んでいない一方的な依存は、ストーカーに発展するでしょう。

しかし、気をつけたいのは、「思わせぶりな態度」にもあります。

自分は気分次第だったつもりでも、それが特別嬉しく感じたら、相手はあなたに「依存」するかもしれないからです。

言い換えれば、依存を全くさせない状況は、精神的な孤立を招きます。

介護の場面では「ネグレクト」ともいいますが、放棄状態に陥ることです。

恋愛が、錯覚や思い込みというものだとしたら、好きになることも相手に特別な存在になることがポイントだと分かります。

つまり、相手の日常に全く影響していない時には恋愛感情も芽生えません。

しかし、あの人と話すと癒されるとか、楽しいという感情を持ってもらえたら、会う前から精神的には影響が始まります。

体験を通じて人は学びますから、印象的な経験が重なれば、いつしか「好きになった」と錯覚するでしょう。

まとめ

つまり、意図的に相手の気持ちに働き掛けて、錯覚や誤解を引き起こすことはできます。

しかし介護では、それをするべきではありません。

なぜなら、強い嫉妬や妬みに繋がり、結果として介護する人もされる人も行き詰まってしまうからです。

特定の人が一人で誰かを24時間ずっと支えるのは物理的にも不可能で、身体も精神も壊してしまいます。

互いの友好な関係を保つためにも、「無理をしない」状態が理想です。

つまり、自身のために相手を依存させるという方向に持って行ってはいけません。

介護士として働いていても、利用者が求めている「言葉」が分かったりします。

しかし、時には気づかないふりをして、依存させないようにしています。

「あの人だけは分かってくれる!」

そんな関係にするべきではないでしょう。

今朝もみんなの朝ごはんを作りました。

しかし、我々が食べ終えて、母親はキッチンで何かを作り始めます。

それは父親が喜びそうな「一品」です。

そうやって、父親から頼りにされることを母親は喜びにしていて、「やっぱり、こみちではダメでしょう!」と思うことで自分らしさを維持しています。

そんな状況が好ましいとは思えないものの、こみちとしてはやめさせたいとも思いません。

というのも、母親は自分をいつまでも必要とされる「妻」でいたいと願っていて、そんな優しさを受ける「夫」で父親はいたいからです。

それもまた夫婦の関係ですし、老後の生き方を自分たちで選んだって結果です。

施設で準備されるような栄養管理された食事を食べて、健康的にはつらつと暮らすことも一つですが、好きなものに囲まれて満たされて老いて行くのも一つです。

介護の難しさは、時にその根本的な違いに気づいていない人がいて、好きなだけ食べて膝が痛いと不幸に感じることは避けたいものでしょう。

結局は運動不足を解消しないことに話が移り、本人がしないといい出して、話がループするからです。

少しくらい不健康でも楽しい生きたいならそれでいい。

何が何でも長生きしたいなら、健康的な生活を優先すればいい。

でも、人は全部欲しがるから、難しくなってしまいます。