若者世代と何が違うのか?
こみちは現役の介護士です。
つまり、介護施設を利用するいろんな事情を抱えた高齢者と接します。
健康状態に問題があるケース。精神的にサポートが必要なケース。生きる意味や目的を見失ってしまったケースなどなど、書き出せばキリがないほどです。
経験として言えば、男性で80代になる頃には何らかのサポートが必要になるでしょう。
その内容や程度は人それぞれですが、「何のために生きているのか?」という深い問題がチラチラと視界に入ります。
物凄い極論を言えば、「頭の中」以外は加齢によって失われて行く領域です。
認知症になれば、今までできた事ができなくなることもありますが、本人としては「異変」ではありません。
つまり、「頭の中」はどんな時でも自分のままで、ただ周囲からは少し変に感じることがあるのです。
その流れで言えば、認知症の利用者に接する時、我々のペースで考えていたら絶対に答えは見つかりません。
なぜって、本人にすれば何も変ではないのに、いきなり何かをされるという感覚になるからです。
それでは、介護はできないでしょう。
介護士として働く予定がない人でも、いずれはご自身やご家族が「介護」を必要とする時が来るはずです。
家族間のサポートで十分な場合もあれば、介護施設に預ける方がいい場合もあるでしょう。
こみち個人としては、人は年を取って「社会からも一歩引いた存在になる」と考えます。
定年退職で、会社員だった自分とは別の生き方になるのと同じで、ある年齢になったら世間に気を使わずに「自分らしく生きる」ことを始めてもいいでしょう。
そのためには、その「時」までに環境を整えておく必要があります。
つまり、若者が夢や希望を掲げて仕事探しをするのとは異なり、中高年の我々は「準備」としての仕事探しをしなければいけません。
それは、「苦もなく働ける仕事」を見つけることでもあります。
介護士には、コミュニケーション能力が求められます。
ある基準以上というような目安はありません。
ただ、その高さによって描ける「介護」が異なります。
他人の価値観や生き方を尊重できる人って、実は多くありません。
なぜって、社会人の中には誰かから抑圧されたり、叱責されたりした経験を自分なりに解釈できず、後輩や新人をいびることで自分を満足させるタイプが少なからずいるからです。
つまり、利用者に対しても同じようなことをしてしまいます。
いい人に見えて、行き場を失った入所者と知って、そこに付け込むような言動をするのです。
自分がされて嬉しくないと思うことでも、今はまだそんなことをされないと思って、迷惑や訴えがあっても涼しい顔で「誤解でしょう!」と言いのけてしまいます。
でも、そんな人に「心を入れ替えろ!」と言っても、時間の無駄です。
というよりも、中高年の我々は「自分の仕事」を見つけたら、その道を進めば良いのです。
言い換えれば、若者のように可能性や視野を広げるという発想よりも、これなら長く続けられるという仕事が見つかれば「現場」から早く抜け出しましょう。
そのために「資格」が必要なら、そのための準備をしてほしいですし、経験やキャリアが必要なら、それを得られる職場を探しましょう。
わずかな時給や待遇に気を取られて目的を見失うよりも、「自分のため」に必要なことをできるだけ早急に始めた方がいいからです。