介護士として思い知ること
介護士はどうしても、勤務している現場だけを見てしまいます。
施設にはタイムスケジュールが設定されているので、それに遅れないように仕事を進めるからです。
しかし、現役介護士の立場で言えば、タイムスケジュールで補える大部分は利用者の個別ケアには含まれません。
人が人らしく最低限の暮らしを維持するためだと言ってもいいでしょう。
例えば、三度三度の食事がドアの隙間から差し込まれるだけで、あとは放置されるようなケアでは、人間関係をより良いものに変えるのは難しい状況です。
食べれば良いという栄養面からの発想だけでは、「介護」としては十分ではないのです。
利用者家族と直接会うには、コロナ禍で激減しました。
以前は、入所する家族同士で顔見知りになるほど、介護現場に家族の姿がありました。
その意味では、とても久しぶりに利用者家族が利用者をどんな想いで施設に預けることにしたのかを知ることは貴重な経験です。
当たり前の話ですが、そんな風に施設に足を運んでくれる利用者家族は、利用者のことを家族として受け入れ、とても大切な存在として考えています。
例えば、認知機能が低下し、顔を見ても誰だか分からない利用者だとしても、「分かるか? オレだよ!」と妻に優しく声掛ける姿を目撃します。
確かにこみちだって、妻がそうなれば、同じように接して、たとえ自分のことが分からなくても、「食べているか?」と声掛けずにはいられないでしょう。
タイムスケジュールから抜け出す介護
介護士としては、できるだけ無駄な作業を減らしたいと思います。
最も、「無駄とは何か?」がポイントになるのですが、決められたことだけしかしない介護士はとても楽に働けます。
言い換えれば、タイムスケジュール通りに動く介護士です。
トイレに行きたいと訴えても、「予定時刻になっていない!」と申し出を拒絶します。
言うなれば、三度の飯だけは提供するような方法ですが、本当にそれで利用者家族が納得するのか、現場サイドだけで判断はできません。
老いていく配偶者や自身の親を、認知症だからと諦めている人は多くありません。
誰でもそうですが、認めたくないのが本音でしょう。
なのに、「時間外です!」と突っぱねてしまう介護士を一方的に非難するつもりはありませんが、疑問は感じます。
もっとも、ケアマネとの相談で、ケアプランとしてどうまとめたにもよりますが、可能な限りは利用者の要望に応えるのが介護士でしょう。
なぜって、利用者家族に接すれば、我々現場の介護士が提供していることなど事務作業です。
それくらい愛情深く接している姿を見れば、我々が現場で接する時に、どんな気持ちを持つべきかは自ずと分かるでしょう。