介護士としてのやりがい

利用者家族からの声

ある利用者が入所して来たのは、数ヶ月前のこと。

かなりこだわりが強く、多くの介護士が対応を避けてしまいます。

こみち自身もいきなり罵倒され、面食らった記憶があります。

それでも対話を続ける中で、そのこだわりの奥にある不安や期待に気づけるようになりました。

ある程度の信頼関係が築け、今は出勤すると必ず手を挙げて挨拶してくれます。

最近では、入所しているいろんな利用者から挨拶されて、すっかり馴染めたという印象です。

こみちが仕事を休んだ日、利用者家族が面会に訪れました。

その際、「ADLの向上をとても驚き、喜んでくれた」と対応した社会福祉士から間接的に聞きました。

実はこみち、少し焦っていたところがありました。

その利用者の健康状態を考えると、もっと適切なリハビリがあると考えていたからです。

しかし、最近は我々介護士の役割や分担の不明確さもあって、仕事が格段に分散しています。

具体的には、シフトされるメンバーによって、仕事量や分担量があまりに異なります。

以前も書いたのですが、ある先輩介護士はすぐに管理業務をしたがり、現場仕事を放棄してコールが鳴っても動こうとしません。

それを限られたメンバーで応対するのですが、動けば動くほど、見ているだけになってしまいます。

もっとも、向き合って話せばいいのですが、どこかで諦めていて、もしもこの先、介護士として明確な目標が見えたら、別の施設も検討したいと考えているくらいです。

介護士としてのやりがいをどう見つけるか?

利用者が入所した理由はさまざまです。

しかし、誠実に対応することで信頼関係は作れますし、表情も見違えるように明るくなります。

だからこそ介護士として働けるのだと思います。

来週には新しい介護士が入職されるという話もあって、現場に新たな風が吹けばいいのですが、先輩介護士たちが考えを改めてくれなければ、これ以上の活気も生まれないでしょう。

休日明けになると、その日はずっと不穏や話しをしたい利用者が現れます。

「たった1日で?」と思うかも知れませんが、それが現実です。

介護士になる前、介護士に戸惑ったのは、厳しい現実に晒された利用者を知りたくなかったことも理由の一つです。

頑張れば笑顔になってくれる距離だからこそ、介護士が諦めてはいけないという状況に立ち、それが他の介護士にもいい意味で共感されれば嬉しいのですが、そんなことはなく、むしろ手を抜き動かない状況が生まれます。

こみちもサラリーマン時代は部下もいて、彼らの成長になる仕事を作り、でも我慢してもらう仕事もあって、自分の仕事以上に頭を悩ませた記憶があります。

それは、こみちが部下だった頃に経験した上司の姿があったからこそですが、今の施設にはそんな感覚はなく、「命令して動く」という使われ方を後輩たちは我慢している様子です。