介護士を仕事にして

こみちの場合


中高年になって転職を迫られた結果、以前の会社を辞めることにしました。

実際には辞める必要もなかったみたいですが、居心地が良くて「長居」してしまったので、良いタイミングだったと感じています。

いざ、職を失ってみて、これがまだ20代なら「次は何をしようか?」で済んだでしょう。

しかし、思いの外、中高年からの転職は大変でした。

その一番の理由が、「モチベーション」の確保です。

結局、中高年で仕事探しをしてみると、若い時のように「あんな人になりたい!」とか「こんな技術を身につけたい!」という目標が見つからず、「これから何をしていこうか?」と目標探しから始めなくてはいけません。

こみちの場合、以前にも書きましたが、「文章を書くこと」や「イラストを描くこと」が好きで、他にも「カメラ」や「バイクでツーリング」など、割といろんな趣味がいっぱいあります。

でも、ある意味ではそれが当たり前のことで、「だから次に何がしたい?」の答えには結びつきません。

当時も文章を書くことを仕事にしていましたが、何となくこのままではいけないという感覚を持っていて、「何かを始めることに焦っていた」ように思うのです。

介護士という選択肢


仕事を失いハローワークに足を運ぶようになって、「こみちにもできる仕事があるのか?」と探すようになりました。

経歴を見れば、最も手っ取り早い仕事はパソコンを使う職種です。

贅沢というか、経験者なら分かると思うのですが、一度その業界を知ると、提示された条件を見れば「おおよその限界値」も分かります。

言い換えれば、5年後には行き詰まりを感じて、「この先どうしようか?」と考え始めることになるでしょう。

そんなこともあって、できることなら今まで経験したことがない職種から選びたいと思って見つけたのが「介護士」でした。

だから、以前の会社を辞める時も、「介護士になりたい」と考えたことはなく、辞めてどうしようかと思い始めて見つけた仕事だったのです。

ハローワークで「介護士の研修」を紹介してくれたことも追い風となりました。

半年間、報酬をもらいながら介護の知識と技術、そして時間的な猶予を得たことで、切羽詰まっていた状況を脱することができたからです。

公的な職業訓練というものですが、「雇用保険制度」に含まれるサービスなので、求職時に検討してみるといいでしょう。

介護士だけでなく、溶接や剪定、塗装や電気工事など、いろんな技術を学べるコースもあるので、特に「何をして良いのかわからない人」にオススメです。

半年間の研修中は、これまで接点のなかった人たちと知り合うことができました。

みんなそれぞれにいろんな人生を経験していて、話ができただけでも貴重な時間でした。

実務者研修というコースだったので、全体の三分の一くらいが「介護士」として働いていた経験者です。

実際、授業でも彼らは未経験のこみちとは着眼点が異なり、だからこそ「介護士の仕事」に早く近づくこともできました。

授業では、みんなで「ケアプラン」を作りました。

年齢も幅広く、価値観もいろいろだったので、これまでサラリーマンだった時に経験した「会議」や「打ち合わせ」、取引先での「プレゼン」とは異なる雰囲気が楽しかったです。

卒業してすぐに介護士になったわけではありません。

段々と楽しかった時間も終わりを迎えて、何十年ぶりかの学生時代も終了です。

学校に行くことで、現実から目を逸らせられていたのですが、「これからどうする?」という悩みが解決したのではありません。

結局、これまでの経歴に沿った仕事を探すのか、それとも「介護士」として働くのか、の二択になりました。

お察しの通り、これまでの経歴に行き詰まりを感じたからこそ、「将来に悩んでいる」のですから、もうその時点では「介護士」を選ぶしかなかったのです。

実際に介護士として働き始めて


結果的なことを言えば、こみちは介護士という仕事が合っていると思います。

個人的には「向いていない」と思うのですが、職場のスタッフや施設の上役、何より利用者から「介護士に向いている」と言われることが多いからです。

なぜ、そもそも「介護士」をしてみようと思ったのかというと、小学生の頃まで記憶を辿り、当時、発達障害を持った同級生がクラスに居て、彼と親しくしていたことを思い出したのです。

中学生になって、彼とも別々の進路になったのですが、当時の思い出は楽しいもので、こみちの原点を振り返る時に見つけた「糸口」でもありました。

こみちは似顔絵を描きます。

別のブログやYouTubeを見てもらうと分かりますが、美術は学校の授業で経験し、仕事でちょっと絵を描いていたくらいで、その道のプロではありません。

それは、「線」を見れば分かります。

絵を描くプロは、線が美しく、だから完成した作品にも「濁り」がありません。

一方のこみちが描いた「似顔絵」には、多くの無駄が混じっていて、それが作品の質に影響しています。

ただ、描く工程をみると、下書きの時点では「大まかな探り」だったものが、書き込むに従って「特徴」を捉えていきます。

実はこの「違和感に気づくこと」こそが、こみちの強みだと分かったのです。

例えば、介護士をするとき、そこには利用者がいます。

彼が何を望んでいるのかに気づかなければ、介護士としては定期の仕事しかできません。

しかし、相手の潜在的な要求に気づければ、「こんにちは」と声掛けることも価値あるものなのです。

介護士として覚えるべきスキルを身につければ、後は利用者に向き合うことが仕事だと気づきます。

いろんな利用者から親しくしてもらえるので、職場としてはとても働きやすい環境です。

問題があるとすれば、とても疲れることでしょう。

気づくということは、それだけ神経を張り巡らせているので、疲労感も一層強くなります。

あと十年若ければ違うのですが、中高年なっての介護士は身体が持ちません。

60代や70代になっても働ける仕事を見つけたいと思って選んだつもりでしたが、介護士も経験してみると苦労の多い仕事なのです。

本音を言えば


介護士として介護現場に出ることが大きなストレスになっています。

仕事も嫌ではないですし、職場の人間関係や利用者との交流も大きな問題は無いと思っています。

こみちの場合、いつもそうなのですが周囲の人から助けれていて、働きやすい環境をもらっていると感じます。

感謝しかないのですが、一方で精神的には行く詰まりを感じることも増えます。

多分、この現象は「インプット」と「アウトプット」のバランスが崩れた時に起こります。

体内に何もなくなり、出せなくなることで「行き詰まり」を感じるのでしょう。

そのためにも、「目標」や「目的」が意味をなすのですが、介護士としての「次」が見つからず、本当なら「作業療法士」みたいな知識や「高齢者介護」ではなく「障がい者支援」へと進みたいのかも知れません。

もちろん、それは仕事を見つけるならという前提で、こみち自身としては不足してきた「インプット」を充実させたい思いは強くなっています。