「終息を待っていた」から「上手に付き合う」へ
コロナウイルスが世間で騒がれて始めた春、オリンピックの「開催延期」で少し覚悟もできたように思っていました。
しかしその頃は、いつか終息するだろうという日を待つ覚悟であって、本当に第二波がこれほど大きくなるとは想像していませんでした。
こみちの勤務する介護施設でも、「行動記録」の提出が義務化され、休日の行動も制限はされていませんが「出掛けない方がいい」という見えない拘束を感じます。
最近、このブログで書くことが増えた話題は、「施設運営」に関すること。
それは介護士として40代や50代となる中高年のこみちが、将来もしっかりと働いていられるために欠かせないポイントだと思うからです。
こみちが、別のブログでイラストを描いていることをご存知の方もいるかもしれません。
以前、Adobeを代表するソフト、「Photoshop」や「Illustrator」を仕事で使っていて、絵を描くことも仕事にしていました。
一般的なイラストレーターという職業ではなく、「広告制作」という目的に付随する形で、カメラ撮影したり、絵を描いたり、文章を差し込んだりしていたのです。
例えば、Adobeのソフトを自前で揃えるには、Macのパソコンを含めて50万円くらい掛かったと思います。
趣味で始めるにはかなりハードルが高かったのですが、今では文章も絵も写真も、プロと素人で差が生じることも少ないでしょう。
実際にはきっと「正常進化」の方向があって、プロはプロなりにその流れを進んでいたはずです。
しかし、後発的に現れた素人にとって、「楽しいから続ける」という目的が今では大きな収益になる時代で、「何をすれば正しい」ということさえ見えづらくなってきました。
コロナウイルスによって、働き方は大きく変化します。
もうすでに変化していると感じますし、休日にバイクでツーリングに出かけて、気に入った景色を撮影したり、絵を描いたりしていたことも、今や「YouTube 」では当たり前のように皆さんが活躍されています。
今にして思えば、こみちにとって「当たり前」だった感覚が、逆に出遅れた原因で、「そんな方法もありなのかぁ」と感心させられます。
話を介護業界に戻すと、サンプルが少ないので断言は出来ませんが、「介護業界」はまだまだ変化の途中です。
こみちの勤務する施設では、契約した勤務時間よりも早く働き出すのが当たり前ですし、帰る時も10分や15分くらい残って仕事することが「風潮」になっています。
こみちの個人事業主として自分で考えて働いていたので、契約時間を守ることの難しさは十分に理解しているつもりです。
しかしながら、そんな労働環境のままで良いと思うのは正しくありません。
なぜなら、介護士のモチベーションが上がりませんし、「負のスパイラル」に陥るからです。
「仕事やキツイ」「給料も安い」「別の仕事がいい」「残されたスタッフがさらに厳しくなる」
これでは、介護士を続けるメリットが見出せないでしょう。
そこためには、介護士のオムツ交換も大切なのですが、施設によるフォローや改善策が見える形で進んでいかなければ、こみちとしても「介護士」を皆さんにオススメできなくなってしまいます。
実際、こみち自身、このまま同じ施設で働き続けるべきか、それとも種類の異なる施設で経験を積むべきか悩みます。
続ける理由としては、勝手が分かっているので働きやすいと思うからです。
一方で別の施設を考えるのは、今の施設に不満があり、こみちが介護士として想像できるようなことを実現し難いのです。
具体的に言えば、介護士のスキル不足が挙げられます。
こみちも介護技術という部分ではまだまだなのですが、「介護ケア」という意味ではいろいろと考えることができるようになりました。
もちろんそこには、例えば利用者家族と施設の関係など、「キレイゴト」では済まされない人間の奥深い部分とも向き合わなければいけません。
これはある日、耳にした出来事なのですが、以前からちょっと親しくなれないと感じていた相談員がいます。
その人が事務所で電話をしていて、別の用事をしていたこみちにも会話が聞こえて来たのです。
そこでは、ある意味で介護士とは全く異なる世界観があり、相談員がなぜにこんなにも冷たい目つきをしているのか分かったように感じました。
つまり、介護士はサービス向上を考えますが、相談員は利用者家族と「コスト」で神経を使っています。
アピールしやすいサービスやもてなしがあれば、相談員もきっと利用者家族に詳しく説明できるはずです。
しかし、明確なサービスが乏しい場合、「コスト」がアピールのポイントになります。
別の施設ならもっと低価格で賄えるという現実を踏まえつつも、相談員は施設のサービスやもてなしを説明しなければいけません。
時にはサービスに関心を持つことなく「高い!」と一喝されることもあるでしょう。
実際、利用者家族の要望はとても細かなものです。
お茶は何時と何時に必ず出して欲しい。入浴の後は保湿クリームを全身に塗って欲しい。
食事の時には「お漬物」を出して欲しい。
ある意味で、ホテルや旅館に宿泊する客かのような要望に、介護施設の役割や存在意義を伝えなければいけません。
「それでその値段なの?」
これもこみちがケアマネから聞いた利用者家族の発言で、「だったら別の施設を探して欲しい!」と不満を漏らしていました。
感覚として、「月に10万円も15万円も出しているのだから…」と思う利用者家族は、自宅で生活する時のコストで考えているのかもしれません。
家族が一人増えたとしても、食費や光熱費が10万円も増加するのは考え難いからです。
しかし、24時間、356日、常に介護士が利用者の安全を確保するというサービスは、数万円では補えません。
それに、コストを抑えるために、必要時以外は利用者を放置しておくというのも不可能でしょう。
無機質な施設でも、温もりを感じられるように努める介護士は、少しの時間でも利用者に声を掛けて「そばにいることを伝えます。
そこに「いくらのコスト」が必要なのかは、判断が難しいところですが、どうしても利用者家族との感覚に開きが生じてしまいます。
こみちとしては、これだけキレイな施設だとアピールするためではなく、現場の介護士がどれだけ動き回って利用者の生活を支援しているのか確認して欲しいと思うのです。
これだけのサポートと雰囲気の中で暮らせることに「いくらの介護費」なら妥当と感じるか、知って欲しいからです。
遊んでいるようで、冗談を交わしているように見えて、介護士は利用者を観察しながら声掛けをして、必要なサービスの提供に努めています。
もちろん、介護士の課題として、サービスを提供できなければ研修を受けることも必要でしょう。
そうなると、施設の運営や方針というものがとても大切なのだと分かるのです。
コロナウイルスの影響が続くことで、こみちも決断を先送りしている状態です。
できれば、施設運営に積極的で、介護士としてもしっかりと働けるような職場を経験してみたいと思います。
しかしながら、介護業界以外でも、そんな会社は自分で作らなければないのが普通です。
「会社は従業員に何もしてくれない!」と思うのは新入社員の時だけで、入職すれば従業員が改善策を稟議書でもいいので形にして、自ら改革するべきだと感じます。
それは、終身雇用が崩壊した現代だからとも言えますが、個人で会社を立ち上げる時にも不可欠な意識だからです。
「現場仕事だけすれば良い」という感覚では、もうどの業界でも遅れを取ってしまいます。
介護士という仕事が悪い選択したではなく、その経験がその後に活かしやすいかがポイントです。
その意味では、「介護士」という選択も悪いとは思っていません。
ただ、今の施設を見ていると、「もう少し改善できる」と感じますし、「やはりそれはどこでも同じ」なのだとも思うのです。
絵を描きました。「上手いでしょ?」では何も始まりません。
「何のために、何をしたくて」という部分を煮詰めなければ、介護施設の現状と同じようになってしまいます。
こみちとしては、介護士を経験しながら、自分の経験を活かせる方法を模索しています。
それは、つまり、自分自身の改革とも言えるでしょう。
また、中高年になると幅広く経験することよりも、煮詰める意識が大切になると思います。
「だからこそそうするのか?」
コロナウイルスで生き方を見直す機会が増えました。
しばらくは様子を見ながら、次の一歩をどう出していけば良いのか考えたいと思います。