利用者からの訴え
利用者の居室に誘導した時など、利用者の感情が急変したりします。
よく言われるのは、「コロナウイルス」による影響で家族の面会が閉ざされていること。
また、介護士の対応から湧き上がる「虚しさ」も懸念されています。
こみち自身も気になるのは、介護士の声掛けが少し乱暴なこと。
ストレスが溜まる仕事ですが、「お待ちください!!!」と言葉では言っているものの、その語気や言い方は優しいものではないからです。
もしも自分が利用者の立場で、「すいません!」と勇気を出して言った時に「お待ち下さい!」と返されたら、次はどれくらい待てば良いのか分かりません。
「こみちさん、もう帰りたいよ!」
自宅へ戻りたいと訴えるのは、押し寄せるストレスと変化のない毎日がもたらせるものなのでしょう。
我々中高年にとっても、夢や希望はとても大切です。
そして、それに向かって考えたり行動することで、「幸せ」や「充実感」を得られるでしょう。
逆に「安全面」だけに重心をおいた介護サービスでは、我々と同じ人である利用者は、時に不安や孤独さ、虚しさを感じます。
多忙な介護士は、仕事が追いつかずに「待っていてよ!」と思うのです。
同時に利用者は、「世話になりたいわけじゃない!」と思ってしまいます。
実際に介護現場に立てば、同時に3つも4つも仕事が重なります。
到底、こなせそうになく、さらに「すいません!」と声掛けられれば、「お待ち下さい!!」と言いたくなるものです。
では、その時、他の介護士も忙しいかというと、必ずしもそうではありません。
スキルによってできる作業に違いがありますが、それでもできることはたくさんあるのです。
ただ風潮として、一人の介護士が精力的に動けば、その人に仕事を任せる傾向があります。
こみちがその立場になった時は、2〜3時間、フロアー内を一時も止まることなく動き回ります。
何かをし始めると「すいません」と言われ、その対応に移行しようとしたら、別の場所からコールが来るようなものです。
さらに看護師からの業務連絡まで重なれば、頭はフル回転です。
でもそれをしなければ、利用者の気持ちには寄り添えません。
「寄り添い」というと、「〇〇さん、どうしましたか?」と優しく声掛けするイメージを持ちますが、それは当然のことなのです。
むしろ、優しい声掛けでなくても、「どうしたの?」と言ってあげるだけでも利用者の気持ちは違います。
大切なのは、「心から伝える気持ち」だからです。
それは自分に置き換えても分かるでしょう。
言葉こそ優しくても、この人には頼れないという経験はないでしょうか。
無意識に相手の気持ちに気づき、言いたいこともいない経験は、大人である私たちなら一度や二度あるはずです。
介護士として働いてみて、そんな対応ができれば良い介護施設になっていくとわかりました。
そのためには、個々の介護士の意識を変えることも必要でしょう。
ただ、実際問題として、課せられる課題の多さをこなしたうえで、利用者への対応でも「心」を意識するには人間力が問われます。
優しい気持ちを持つことも容易ではなく、抱えた仕事をこなしつつも、相手を受け止める気持ちになるには、体力も気力も充実していなければなりません。
そこには、報酬という問題や将来性も絡んで来るはずです。
結局的なことを言えば、介護士として期待されながら働ける能力がある人なら、異業種でも絶対に活躍できるでしょう。
それほど、介護士の仕事は奥深く、これで十分という限界点が見えません。
「もう少しできたのではないか?」という気持ちが、時に介護士を追い込む結果にもなるのです。
特に利用者に対してではなく、フォローしてくれない介護士がいると、頼れないストレスが何倍にも膨らみます。
そこを改善するのは、施設サイドの運営方針であり、施設長をはじめとした管理者の役割が重要になってきます。
施設長一人では到底解決できない規模なので、それを実行できる組織作りに着手できるかがポイントです。
しかし、それないに歪でも施設は動いていきます。
それに改革は反発や拒絶を生みます。
熱意や説明、時には施設長自身の行動も律しなければいけません。
そうなった時に、厳しい言葉を使えるかは、とてもデリケートです。
「どうにか上手く行っている」
勢いで動く流れをコントロールできないまま、流されてしまうのも珍しいことではありません。
結局、現場の介護士は自己防衛をはじめ、いかに疲れない働き方ができるのかに意識が向くのです。
そうなると、頑張る介護士が力尽き、離職や意欲を損ねてしまう悪循環が始まります。
利用者の訴えを支えるには、そんないろんな課題に向き合ってこそ始められる難しさが待っています。