介護保険制度の示すもの
現在、こみちは介護施設で働いています。
介護業界に興味がなかったのではありませんが、気軽に関われると言う「手軽さ」は感じていませんでした。
実際に働いてみても、その気持ちに変わりはなく、「介護」はいろいろな意味で大変だと思います。
さて、介護業界未経験の方を含めて、現在、または過去に介護施設で働いた経験がある人は、「介護サービス」がどのようなものなのか気になるでしょう。
と言うのも、こみち自身は「介護サービス=トイレ誘導や食事の介助」とは思っていませんでした。
だからこそ、利用者である1人の人間を支えることの意味や役割に向き合える勇気や覚悟が持てなかったのです。
そして、現行の介護保険制度に触れることで、「介護度」と「ケアプラン」の関係や、その調整役である「ケアマネ」と言う役割、さらには「自立支援」や「個人の尊重」まで、介護への基本方針が分かります。
国内における「介護費用」は増加傾向にあります。
きっと、ある時期までは増加して行くでしょうし、横ばいを迎える頃には高齢者を支える現役世代も減っていて、結局は苦しい状況に変わりないでしょう。
現行の介護保険制度では、日常生活が困難になった程度に応じて介護度を決定し、その度合いに応じて「介護サービス」が受けられるようになっています。
言い換えれば、より大変だと判断された人ほど、多くのサービスを受けられるようになっているのです。
そこで、介護度が軽くなるよりも、重くなった方が利用者にとっても都合よく、例えば介護施設もより多くのサービス料を受けられる可能性があります。
そんな状況で起こりがちなことは、リハビリなどで回復が期待できる場合でも介護度が高くなって行くケースです。
特に、利用者が自宅復帰する際の環境が整わないケースでは、別の重大な問題も起こります。
例えば、室内で手摺りを使えば短い距離なら歩行できる人がいて、家事や洗濯までは行えない場合、特養のような介護施設に入所は困難です。
それは希望者との関係もあって、よりコストの掛かる有料老人ホームや、老健、さらには自宅で暮らしながら訪問介護サービスを受けると言うような支援策で賄うことになるでしょう。
夫婦で力を合わせて生活できる人たちはいいですが、一人暮らしが困難となった場合の子どもとの同居もまた簡単に解決できる問題ではありません。
実際、コロナ流行以前、介護施設に度々訪れる利用者家族がいた反面、数ヶ月も顔えお出さない家族だっているほどです。
そのような利用者と利用者家族の関わり方を介護施設で提案することはないでしょうし、利用者のケアを担うケアマネも、話題にはできても強制することは現実味がありません。
本当の意味で、「利用者の健康的な暮らしをどこまで回復するべきなのか?」は、誰が責任もって答えられるのかも分からないでしょう。
もちろん、そこまでには段階があって、利用者と家族に加われるのはケアマネでしょうし、施設でも基本方針を提案するチャンスはあります。
さらに、介護現場の介護士まで来ると、大掛かりな目標よりも、目の前のちょっとした言動を改善することが可能です。
ただ、経験的なことを言えば、介護士にできる支援は、介護保険制度に従い施設が定めた範疇で行うしかないのです。
介護士ではなく医師ならではの「介護」
株式会社 秀和システムより発行された『家族みんなが「笑顔」になった“心が温まる”介護の話(著者 福島 真治)』をよみました。
とても興味深いエピソードが多く、1時間くらいでと読み進められました。
例えば、大学病院で医師として働いて人が、デイサービスを開くに到った話があり、そこでは「杖を使ってやって来た利用者が帰りには杖を忘れて帰った」というような内容が書かれています。
簡単に言ってしまえば、適切なリハビリなどを施せば、回復の余地が残された利用者も一定数いるということです。
確かにそうだなぁと介護士をしているこみちも感じます。
ただ、施設運営の安全性という面では、介護士が利用者の様子をコントロールできない状況は懸念されます。
利用者にすれば、歩けるようになって手すりを使って室内はもちろん、施設外の花壇やベンチで自然の風に吹かれる時間も楽しみたいでしょう。
本来ならそれが自分らしい生き方ですし、介護支援が目指すべき目標です。
しかし考えてもみてください。
介護度が軽くなれば、施設が受けられる報酬は減ります。
利用者やその家族にとっても、サービスの量や回数を減らさなければいけません。
だったら、「回復しなくても…」
この流れは、完全にループしていて、利用者自身を考えれば活動範囲が広がれば良いことですが、家族にとっては自宅での介護が基本になったり、負担が増加することもあるでしょう。
書籍では、ゴルフができるようになった話や家族旅行に行った話などを紹介しています。
もちろん、そこに至るまで数年掛けたというケースもあって、「人として自由に生きる」夢や希望を感じられるでしょう。
前回の記事で、こみちは介護の基本スキルを身につけたその後に触れました。
施設で行う介護にも良いところがたくさんあって、利用者を笑顔にすることができます。
一方で、それまでの人生観は人それぞれで、思い出の場所にもう一度行ってみたいと思う人や、学生時代の友人に会いたい人もいるでしょう。
趣味を満喫したいなどもあるかもしれません。
なぜなら、人の人生は2つとして同じではないからです。
施設介護では、共通する習慣をスケジュール化し、限られたスタッフで効率的な介護サービスを提供しています。
時間的な束縛と金銭的な制約がなければ、その人にあった支援だけに没頭できますが、現状としては制限を取り去ることは困難です。
どんな状況下にいる人を、どこまでサポートできるのかは、様々な条件で異なります。
常時3人以上のスタッフを待機させ、月100万円超のコストが用意できる人と、月5万円以下で衣食住を安全で健康的に支援して欲しい人では、介護サービスの内容は変わるでしょう。
介護士にしても、ある介護施設で働いてみて、「介護」って大変だなぁと感じるかもしれません。
しかし、その大変さは、個々の希望に組み取れないことかもしれませんし、想いはあっても時間が取れないことかもしれません。
施設介護の場合には、より影響の大きなサービスを優先し、各利用者の満足度に応じます。
つまり、それ以上満足度を上げるには、スケジュールを速やかにおわらせて、さらに介護サービスを提供する意識が必要です。
慢性的な人手不足の他、介護士のスキル不足、山積する課題は山積みです。
ただ、課題を解決するには、介護保険制度の見直しが不可欠でしょう。
また、介護士として働いている人は、看護師や理学療法士などの専門職も視野に入れるべきです。
というのも、介護士というポジションはどうしても現場優先に考えやすく、利用者の根本的な支援には手が回りません。
リハビリの大切さに気づいていても、介護士が利用者に提供する時間はほとんどないからです。
それほど介護士に与えられたスケジュールは多く、時間通りにこなすだけでも疲労困ぱいです。
介護サービスに関する書籍を読んでみると、同じような疑問を感じて、その人なりに行動し、結果を導いています。
すべてに有効だったり、可能なのかは分かりませんが、それでも現状を疑問視して行動したことは称賛されるべきでしょう。