介護未経験もイメージできる!?
介護の仕事を始める時に思うのが、自分に「介護」できるだろうかということ。
そこで、未経験でもイメージしやすい例を挙げながら紹介したいと思います。
年齢を重ねてくると、例えば老眼になったり、耳が遠くなったりすることを連想するでしょう。
さらに言えば、根気や気力が薄れて、こだわりが強く残り部分とズボラな部分がはっきり現れる人もいます。
そして、認知機能が低下すると言ったことを忘れたり、体験したことを覚えていなかったりもします。
そうなってくると、どんなことが起こるでしょうか。
今まで身なりに気配りできた人なのに、よく見ると後頭部に寝癖が付いていたりするのです。
「エエッ!?」
たまたまなのかなぁと思いたいのですが、食事をすると両ひじを開いてまるで成長期の男子が掻き込んでいるように見えます。
脇を閉めて上品に食べるには手首の柔軟さが不可欠です。
しかし加齢により関節が硬くなると脇を閉じているのが難しくなり、自然と肘が上がってしまいます。
老化というと白髪のように物質的な変化に捉われますが、仕草や生活スタイルの変化は、想像以上に「老い」を感じさせるのです。
我々中高年の両親は、だいたい70代以降が多いでしょう。
まして実家を離れていると、両親の暮らしぶりが変化していることにも気づきにくいはずです。
しかしながら、我々が実家で暮らしていた頃とは随分と生活スタイルも変化していて、居間に洋服が積んだあったり、その横にダンボールに入った野菜が置いてあったりと、何かが以前とは違うのです。
「何で(白菜)がここにあるの?」
「使うんだよ!」
「今は使わないでしょう。ここに置いたら…」
そう思って勝手に移動でもすれば、両親は困惑した表情になっているでしょう。
話し合えるなら話し合おう!
介護施設で利用者の対応をしていると、「トイレに行きましょう!」と言ってもその内容を理解しているのは半数ほどです。
では残りの人の場合、「承諾」を待っていても事が進みません。
そこで、「トイレ行こうネェ〜」などと伝えながら、急かさずにスケジュールを済ませて行きます。
中には、便座に座っていても急に立ち上がってしまう人がいます。
「どうしたの?」
聞けば、不安そうに見つめてきます。
そして、よく状況を確認すると、用を足したことに違和感を感じていたのです。
つまり、誰もが当たり前だと思う行為でも、場合によっては「違和感」となり、心を乱す原因になります。
見えないものが見えたとか、スタッフを泥棒だと思ってしまうのもよくあることです。
「大丈夫だよ」
理解としてではなく、言葉のフレーズ閉じて伝える言葉です。
さらに肩先などを軽くタッチして、笑顔も忘れてはいけません。
一方で、タオルを畳めるくらいの利用者でも、時々理解できないことが起こります。
「ありがとうございます」
畳んでもらったタオルを受け取ろうとすると、頑に渡すのを拒みます。
「どうしたの?」
利用者の脇で腰をおろし、落ち着いたトーンで語りかけます。
「これ、私の!」
「全部そうなの?」
「…」
「実はね。…」
タオルを必要としている人がいて、困っているから分けてもらえないかと作り話を持ち掛けます。
「じゃあ、これは私の。あとはいいわ」
1枚だけを残して、あとは渡してくれました。
この利用者でも、かなりのことを自分1人でできる方です。でも、時々、そんな風になってしまうのが「介護」なのです。
こみちが考える「介護」とは?
介護を理解するとき、排せつ介助などの業務を説明してしまうことがあります。
もちろん、それも介護の解説なのですが、知って欲しいのは介護が必要になった時に何が起こるかと言うこと。
その時、「最後は全部をしてあげる」という覚悟が必要です。
誤解して欲しくないのは、例えば料理を作る場合、我々が作ることを言ったのではありません。
介護が必要になった人ができる限り自分で料理をしてみて、時にこぼしたり、切り方や手順が分からなくなったりしたらさり気なくサポートすることです。
決して出しゃばったりして、「何でこぼすの!」などと怒ってはいけません。
なぜなら、失敗をしないようにできるなら注意も意味がありますが、それが段々とできなくなるのが加齢なのです。
「これくらいの味でどうでしょうか?」
ほとんどこちらが作る場合でも、しっかりと相手の役割を持たせ、料理に参加してもらうことが大切です。
時には洗うべき鍋をそのまま放置してしまうかも知れません。
「何で?」と思うことも、最後は我々がカバーすると思えば良いのです。
本当なら、手伝ってもらわない方が効率的かもしれません。
しかしそうではないのが、「家事の代行」ではなく「介護」の役目です。