人間力を埋めるには?

中年介護士が悩むこと


介護の仕事は、少しだけ「残す」ことが大切です。

この「残す」とは、利用者が自分自身で行うパートになります。

介護士の中には、全てを介護士で済ませた方が早いという人がいます。

もちろん、そんなことは当然で、「介護は残す」から大変なのです。

まだ若い介護士の中には、「老化」を知識としては知っていても、認識として知らないことも少なくありません。

もちろん、中高年だからみんなが知っているのかというと、そうでもなく、年を重ねた人の方が気付きやすいだろうという程度です。

1時間に何度も「トイレに行きたい」と訴える利用者がいます。

老化によって膀胱が硬くなり、尿意を感じやすいのかも知れません。

だからといって、「さっき行ったばかりでしょう!」と誘導を拒絶するのは間違えた介護方法です。

肉体的にはそうかも知れませんが、利用者にとっては介護ではないからです。

こみちとしては、「なぜ、行かなくても良いのか?」をしっかり説明して、利用者なりに理解してもらうことが大切だと考えます。

それが間違えた認識を含んでいたとしても、ある意味で「利用者が納得していること」が重要なのです。

というのも、「行ったばかりでしょう!」と言った介護士にはもう「行きたい」とは言いません。

そして、別の介護士に仕事が回って来ます。

トイレ誘導だけではありません。

ベッドで仮眠したいという訴えも多く、それを頭ごなしに拒絶すれば、言った介護士は満足かも知れませんが、最終的には別の介護士がカバーすることになります。

思うに、「介護=正しい行い」ではありません。

時には無駄になることでも、利用者が体験的に認識することで前に進むものなのです。

耳が不自由なければ、遠くから呼ばれても話が聞こえるでしょう。

しかし、側に来て、しっかりと話さないと利用者には伝わりません。

「なんで聞こえないの!?」

介護現場では、そこを悩んでも意味がないのです。

遠くから話せれば楽ですが、きちんと利用者の近くまで来て、「〇〇さん、〇〇でいいですか?」と話さない限り、事態は進みません。

つまり、「さっきトイレに行ったでしょう!?」と事実を突き付けたところで、利用者には判断できず、「なんで連れて行ってくれないの!?」という不満だけが記憶されます。

高齢介護士が見せる不可解な行動


70代になった介護士も現場で働いています。

しかし、そんな高齢介護士には共通点があり、状況に合わせて仕事を進めることが困難になります。

ある作業を始めると、その仕事が終わるまで他の仕事は見向きもしません。

現場に3人の介護士がいて、ある瞬間に5つの仕事が発生した場合、どの仕事から手をつけるべきかを考えるはずです。

しかし、高齢介護士は、自分の興味や得意な仕事を始める傾向が強く、しかも時間無制限で動き出すので、5分の仕事も20分以上が普通なのです。

「丁寧な仕事をポリシーにしている」

ある介護士が、得意げに教えてくれました。

シフトによっては、5つの仕事の内、2人の高齢介護士がそれぞれ一つずつ担当し、残り3つを猛スピードでカバーすることも珍しくありません。

何より、3つしていることを理解していないので、「さっき、ハードな仕事を終わらせた!」と6つ目、7つ目の仕事が発生しても動こうとはしないのです。

人間力を埋めるには?


ある利用者は、こみちを見掛けると「ちょっと…」と呼び止めます。

事実なのか想像なのか判断し兼ねる話をしては対応を求めます。

「今すぐタクシーを呼んで欲しい!」

「どうしたんですか?」

「温泉に行きたいんだ」

「温泉!? 今すぐっていうのは…」

90代になる高齢の利用者です。

多少の認知機能低下も見られます。

とは言え、「温泉に行きたい」は作り話だから無視して良いのかというとそうとは言えません。

では、介護士の立場で利用者の旅行に付き合えるかと言うと、事務手続き上、困難な部分もあるでしょう。

こみちが思うのは、この現実と空想の狭間にある「ニーズ」こそ、介護の仕事です。

もしも、無愛想な応対をすれば、そんな難題さえ利用者は話してくれません。

「美味しい」とか、「ありがとう」は、介護現場でもよく耳にしますが、利用者自身になれば、本当に満足した上での言葉なのかは判断できません。

少し無理かも知れないけれど、どうにかすればできるかも知れないという可能性を感じるからこそ、利用者は難題を思いつくのではないでしょうか。

以前、措置制度だった頃、実務者研修の講師から「温泉に行った」という話を聞きました。

そして、その利用者が数ヶ月後に他界して、「無理をしたけれど、あの行動は利用者も満足だっただろう」と話してくれました。

組織としての立場もあるので、介護士の独断で決めるべきではありませんが、「難題」こそが介護であり、利用者の生きがいやホンネなのです。

「無理です」「できません」というのはとても簡単なことですし、自分ができることを介護と言ってしまえば、できないことは全部介護ではなくなります。

「さっき行ったから、今はトイレに連れて行かない」

介護現場では、こんな行為が横行していて、利用者から呼ばれても聞こえないフリをする介護士が少なくありません。

そして、カバーばかりしている介護士は、そんな介護士と距離を置くようになり、連携も取れなくなってきます。

「あの介護士、動かない!」

介護の解釈が異なると言えばそれまでですが、介護の仕事が低迷してしまうのは、仕事の質が上がらないことも理由でしょう。

できないことはしないという介護ほど、従事していて面白くありません。

上から目線で利用者に接し、怒ることで相手を制する姿を見ていると、「介護」って何だろうと考えさせられます。

しかしながら、そんな介護士をクビにすることができないのも介護業界です。

人材不足を理由に、介護の質よりも日々の業務を優先しているからです。

よく介護士をその他の福祉系資格と比較してしまいます。

看護師や理学療法士などは、決められた分野で仕事をするので、知識を生かしやすいのが特徴です。

しかし、介護士は仕事の範囲が曖昧で、その内容も「人間力」に依存しています。

さまざま生き方に触れた経験が介護では重要なので、介護以外の仕事をしてきた中高生介護士は、活躍のチャンスがあるはずです。

ところが、実際には介護現場で、「介護」を考える介護士は少なく、無駄なく業務が進むことを優先しています。

面倒なことを避けて、負担の少ない仕事を目指すのです。

このことが介護士の社会的なポジションを低迷させているのに、介護現場ではそんな取り組みを積極的に行おうとはしません。

「介護の仕事は安い!」

そんな意見ばかりが出てくるのも、人間力不足のように思えます。