入所した利用者の変化

信頼される介護施設の役割


前日、以前入所していた利用者が再入所して来ました。

退職した理由は、医療的な処置が必要になり、掛かり付け医に診てもらいたいということでした。

これまでの介護経験で言えるのは、自宅復帰する場合とは異なり、入院するのは突然のことが多いです。

つまり、介護士にすれば、次回の勤務で施設に来たときには、その利用者が退所していたということもあります。

この利用者の場合もそうでした。

こみちの勤めているのは、介護老人保健施設という介護施設なので、割に利用者のローテーションも早いのでしょう。

それだけに、「最後のあいさつできなかったなぁ」と思う反面、次に入所した利用者準備に追われたりします。

再入所した利用者に「こんにちは?」と声を掛けると、「兄ちゃん!」と呼んでもらえました。

「覚えていますか?」とさらに訊いてみれば、「覚えていますよ〜」とさらに笑みを浮かべてくれます。

記憶が間違えていなければ、再入所まで半年近くの期間が空き、その間に2名の利用者が同じ部屋を使っていたはずです。

幸い、退所時と同じ部屋が空いていたので、その利用者も早く馴染めるのではないでしょうか。

以前の病院から送られた書類によると、「意思の疎通に不安がある」と記載されていました。

これもよくあるのですが、便意や尿意など、介護に関する情報も「重め」に書かれていることが多いようです。

「少し落ち着きましたか?」

さり気なく話しかけながら、介護士としては利用者の様子や受け答えをしっかりと観察しています。

「随分と人(入所している利用者)が変わったみたいだなぁ」

「そうですか? 顔見知りの人はいますか?」

そんな会話をしている時でも、利用者の表情や視線の動きを見ています。

なぜなら、一見会話が成立しているようで、それが過去の習慣的な場合もあるからです。

「こんにちは」と話しかければ、「こんにちは」とか「お世話になっています」と応えてくれる利用者も少なくありません。

しかし、それは現状を理解してのことではなく、単に習慣的な行動だったりするからです。

つまり、「懐かしいなぁ」と言っても、実際にどう懐かしいと思っているのかはしっかり観察しなければ判別できません。

この利用者の場合、以前の病院から受けた情報では認知度が進行していると言われましたが、そんな雰囲気は感じませんでした。

もちろん、一般的な同年代と比べれば、生活支援が必要なことに変わりありませんが。

2ヶ月前に入所した利用者も、認知度の進んだ人でした。

家庭での介護が難しくなり、介護施設を利用すると決めたケースです。

利用者はもちろん、その家族も介護施設がどんな場所で、どのような介助をしてくれるのか不安だったようです。

介護士は、利用者だけでなく、家族の支援にも努めています。

施設に慣れてくると、あいさつなど社会人として一般的なことはありますが、家族がフロアーで利用者(自分の親や配偶者)と一緒に団らんすることも珍しくないからです。

施設にはキッチンも備え付けられているので、それを使って昼食時に料理を作る家族もいます。

自宅で介護している時と比べ、介助する家族も自分の時間が持てるようになることで、利用者との関係が改善することも多いようです。

また、家族サイドから「この施設を母(夫など)気に入っているんです」と教えられることもあります。

介護士としてやりがいを感じる瞬間でしょう。

車イスを使うことに慣れない利用者は、不意に立ち上がろうとします。ふらつきがあれば、とても危険な状況です。

それでも、車イスの扱いに慣れてくると、利用者の行動に変化が現れます。

「立ってもいいの?」と確認してくれる利用者も多いのです。

これが、「勝手に立たないで!」と抑圧した結果なら問題ですが、安全性を確保するための配慮だと理解し、確認してくれるようになれば、介護支援の度合いも変化します。

こみちは、利用者との信頼関係が大切だと感じます。

なぜなら、ある認知症の利用者から言われたのですが、自分は名前を覚えられないので、履いている靴で介護士を見分けていたのです。

この靴の人は優しいとか、あの靴の人は厳しいとか、利用者も介護士をしっかりと観察しています。

家庭とは異なり、介護施設での生活には社会性が伴うことも特徴です。

利用者も遠慮をしますし、気も使っていて、以前はわめき散らして介護士たちを困られていた利用者も、「あなた、忙しそうだからやめておくよ」と言ってくれたりします。

「少し待ってくれたら、準備できますよ」と促しても、「世話をかけるから」と気を使ってくれるのです。

介護士としては、甘えさせてあげたい部分と、物理的にも難しい状況が重なるので、できる限り要望に応えつつも、「お願いしなければいけない時」も出てきます。

介護士の介護疲れはどうして起こるのだろう?


要求に応えることを「介護」だと思い込んでしまうと、介護士も疲れてしまいます。

そのプロセスは、「引き算」のようで、できなければ「マイナス」になり、自己否定に繋がりやすいからです。

頑張って当たり前。そんな気負いを自分で作ってしまうのでしょう。

先にも紹介しましたが、利用者はいつも受け手とは限りません。時と場合によっては、送り手となり、介護士と緻密に連携しているのです。

若く体力の十分な介護士ならともかく、我々中高年になると、ポイントをつかんだ介護を心がけなければ体が持ちません。

この場面は急ぐところ。この場面はリラックスするところ。

実はそんな切り替えも介護士には求められるのです。

それでも自宅介護に比べてば、休日もありますし、利用者とのべったりした関係ではありません。

「良い人」を演じるのではなく、「頼れる人」になることがポイントでしょう。

不思議なもので、些細なミスに怒る利用者はほとんどいません。

時間が掛かりそうな時こそ、積極的に「会話」をすれば良いのです。

「ご飯は美味しかったですか?」「今日はよく晴れていますよ!」

「晴れているのか?」と反応があれば、「少し散歩でも行きませんか?」とさらに会話を楽しむのもありでしょう。

施設はとても安全な場所ですが、時間の変化を感じ難いこともあります。

短時間でも、環境を変化させることを利用者は求めています。

何かをしてあげるという意識ではなく、何かを一緒にする意識が大切なのかもしれません。