夫婦や家族間に「愛情」が消えた時

 夫婦喧嘩

昨夜、ちょっとしたきっかけで夫婦喧嘩になりました。

「バカ野郎!」「そっちだって!」

どちらかがどちらかにそんな言葉を発して、喧嘩をするのではありません。

「一緒にいるメリットって何?」

つまり、冷静で穏やかかで、だからこそ心の奥深くまで貫く言葉が続きます。

こみちはこみち自身のポリシーとして、どんなに親しい相手でも言ってはいけない言葉があると思っています。

それが、「出逢わなければよかった」という言葉。

なぜそれが、それだけではありませんが、その類いの言葉には、これまでの全てを否定し、いいことさえなかった後悔だけになるからです。

最近の妻は躊躇することなく「メリットは?」という問い掛けをします。

確かに今のこみちは妻の支えがなければ成り立たない状況です。

でも言い換えれば、経済的に妻を頼らなくても生きられるなら、それこそ妻と生きる「メリット」とは何か考えてしまいます。

今朝も妻の要望で欠かさない温かい飲み物を妻の枕元に置いておきました。

目覚めてそれを一口飲む。それが妻の1日の始まりだからです。

義務として行なっているのではありません。

こみちが妻を愛して、その飲み物でひと時の安らぎを感じて欲しいからです。

でもメリットは?という言葉を事務的に理解するなら、全ての行為をビジネスライクに変えることも大人ならできるでしょう。

飲み物も支援を受けるための契約。

そんな位置づけにすれば、それくらいのことは何でもありません。

笑顔で挨拶して欲しいといういうなら、それだってできるでしょう。

でもメリットでは割り切れないから夫婦は愛情を注ぎ合えるのです。

正直なところ、父親だけでなく母親も役割を果たすような期待ができなくなりました。

状況を判断して何かをするということが難しく、思いついたことを状況も考えずに始めてしまう。

もうそんな感じでしかありません。

10の10ができないので、結局はやりっぱなし。

あってでもこっちでも。

「できていないよ」

そんな忠告をしても三日も持ちません。

しかも段々とできることが少なくなっていて、しかもそれに気づいていないのです。

気分次第で父親を怒ることもあります。

「一緒になって不幸だわ」

父親は理解しているのかいないのか、黙って聞き流しています。

自業自得と言ってしまえば確かに否定はできません。しかし、それを言ってしまえば、過去の楽しかった思い出さえ無価値になるでしょう。

そんな言葉が両親の間でも、こみち夫婦の間でも当たり前になってしまいました。

以前は遠慮してくれたのに、今は話していても遮って持論を話し、最後には意味がないよで終わらせる。

実際、もう妻に何か話しても、その心を変えることはできません。

それくらい冷え切っている、いやもっと他人です。

「お天気、いいですね!」「本当、そうですね!」

一見すると和やかな会話ですが、これも距離感や立場が違うからこそできる話。

夫婦ではそんな会話をしません。

でもこみちたちの会話はそうなりつつあります。

家族としてはもう完全に行き詰まり、そして妻とも冷え切ったを過ぎて他人同士。

休日に出掛けても、楽しい時間ではなくなり、業務として同行しているような雰囲気です。

「どうコレ?」「嗚呼、いいんじゃない?」

本当にどう思っているかではなく、きっとそう言えばいいんだろうという会話。

「まだこんな時間かぁ」

さり気なく時計を見るのも、心では早く休日が終わらないかと思っている。

そうなってしまうと、夫婦でいることさえ意味を失ってしまいます。

夫婦喧嘩も随分と変わりました。

言いたいことだけを言って、相手からの反応などもう気にしていませんから。

「結婚するんじゃなかった」

その言葉は墓場まで持って行って欲しかったです。

「そうですね」

言えますか?

「そう言わないで」

言えますか?

翌日は当たり前に「おはよう」で始まります。

でもやはり忘れてはいません。「この人、結婚を後悔しているんだな」っと。