高齢者介護でポイントになる「認知機能低下」とは?

 認知機能低下→認知症ではない?

認知機能が低下したら「それは認知症かもしれない」と考えてしまうのは、介護を勉強した人のあるあるかもしれません。

というのも、認知症も軽視できない問題ですが、実は在宅介護などで別の大きな問題になるからです。

こみちは要介護認定を受ける父親と少し最近の行動がそんな父親の一年前を追っているように見える母親を暮らしています。

父親のことは今回は省き、母親のことに触れたいと思います。

先日、失禁する父親のために使用するリハパンとパットをネットで購入しました。

それを両親のどちらかが受け取ってくれて、玄関に大きな紙袋が3つありました。

「宅配来てたよ」

帰宅した時に母親に教えられて「嗚呼、リハパンとパットをネットで注文したんだ」と伝えました。

それに対し母親は「よく分からないけど…」そう言ってその場を離れていきます。

みなさんは、その反応をどう感じるでしょうか?

唐突に言われて、「分からなかった」と本当に思いましたか?

これ、先月も同じ反応でした。

そして決まってその翌日に菓子パンを1つ買って来て「食べていいよ」と言うことも実は同じ反応です。

こみちとしては、母親の心理をこんな風に解釈しています。

先ず、購入したリハパンやパットを使うのは父親だと理解していること。そして、1ヶ月分をまとめ買いするとそれなりにまとまった金額になること。代金を支払わないことに少し後ろめたさもあるけれど、「払うよ」と言うとそれなりの出費になること。

その結果、菓子パンを買って来たんだと思うんです。

と言うのも、母親は先月も同じことを言いました。

「ネットで買った方が安いの?」と。

こみちのように母親の行動に疑問を持つ人なら、「ネットと店舗とでどちらが安いのか?」って実は次の段階で出る会話だと気づくでしょう。

母親はもう代金を請求されないと分かった時にそんな質問をして、全く無関心でもなく、深く関わって代金を請求されることもない距離で話題を振ったのです。

高齢になり認知機能が低下すると言うのは、単純なもの忘れをイメージしてはいけません。

認知機能低下とは、自身が不利や損になるを巧みに回避する癖が強くなる行動にもなります。

「初めて聞いた」とか「分からない」。

母親は割とそんなフレーズの言葉を使います。

そして、「そんな好き勝手していたら、介護が必要になっても手助けしないからね」と伝えた時に「ごめん」ではなく「介護してくれなくても結構です!」と言い切ります。

でも考えてもみてください。

父親のリハパンやパット、既に誰が在庫をみて購入していますか?

本来なら母親がそれを管理していてもおかしい話ではありません。

そして、「それを人に任せていること」の部分が認知機能低下しています。

なので母親は助けられていることに対して認知が低下し、「自分はできている」を思い込んで譲りません。

言ったことを忘れてしまう状況を指すのではなく、事実を歪んで解釈していることに気づかなくなることが認知機能低下でもあるのです。

それこそ何度も伝えても、服薬を1回分でまとめた袋を元の場所とは違う所にまとめてしまうのも、どこに置けば誰にも分かりやすいとは理解できず、自分で決めた方法でならまとめることができます。

なので、こうしてくれたら次の人もスムーズだと言う方法ではできないので、時に全てやり直すことになるような状況にも気づきません。

そして、やり直されると、時に嫌味なことをされたとさえ思うようです。

それは自分は頑張ったのに、わざわざやり直すなんて酷いことをすると言う理解になるからでしょう。

もしもこの仮説が正しいなら、母親の認知機能低下は既に始まっていて、もの忘れのような単純な反応ではなく、事実をそのまま理解できないようになっていると言えるのです。

「ネットで買ってくれてありがとう」と言うと母親は後ろめたい気持ちになるのでしょう。

その代わりに「菓子パンを買ったから食べな!」なら自分のプライドも保てて、しかもリハパンやパット代を支払うよりも安価で損しません。

今朝の朝食を作る時、冷蔵庫にマカロニサラダやつくねの惣菜など、多くの品物が買い込んでありました。

得したお金をそんな形で消費し、父親や自分が食べるものも一緒に買う。

いつも同じ行動をする母親の心理は、多分こんな風に動いたからではないかと察します。

認知機能低下した高齢者介護で難しいのは、お金の管理も認知機能低下で変わってしまうことでしょう。

与えれば与えるだけ、自分なりに役立つ方法で買い物をして来ます。

全く無駄ではありませんが、リハパンの代金もネットを使って数百円でも安いと思うからです。

でも実際には、その代金はこちらで支払い。さらに母親がまた何か別のものを買ってしまう。

結果的に節約ではなく、上乗せされた浪費行動なのですが、母親基準ではそれが辻褄の合う行為になっています。

思うと父親も完全な認知ではないので「オレの使うリハパンって誰が買っているんだ?」と母親に聞いても不思議ではありません。

でも父親はそれを質問しませんし、「請求してくれ」とも言いません。

「お金を渡すから〇〇を買って来て」と言う時も、その買い物で時間や手間を使うことは全くイメージできなくて、代金だけを聞き「払うよ」と言います。

「そりゃそうだろう」と言う反応になりそうですが、不思議と父親も母親もそんな時の反応は同じです。

自分には段階とできないことが増えて、家族がそれを介護してくれている。

そんな風には理解できないことになっているんです。