絵を仕事にしたかったですが

 来年からは生活を変えようと思います!

老いた両親を見ていて、最近急にできないことが目立って来ました。

きっと、以前のように戻ることはありませんし、今後は更に老いが進むでしょう。

して欲しいことを1ミリだって守ってくれないと不満を漏らしたこともありますが、今は自分たちの生き方さえも段々と怪しくなっていて、まともに考えると未来に明るさはありません。

絵を仕事に繋げたかったのは、クリエイターとしての可能性とかではなく、こみちにとってはそこだけしかなかったというのが正直な気持ちです。

それを一度休止にするのは、それだけ生活が切羽詰まり、その日の生活をやり過ごすことが難しいからです。

トイレで便座カバーを濡らしてしまう父親と、その濡れたことにも気づかない、気づいても取り替えない母親。

それを見ても、二人がどれだけADLが低下しているか察しがつくでしょう。

そのうち、父親は夜間でオムツを使うようになるでしょう。

母親もまだ簡単な料理ならできると思いますが、決まった時間に決まった人数分を必ず用意することは難しいかもしれません。

かと言って、同居して思いの外、母親が貯金できていなかったことを含めて、こみちが自分たちにために考えていたライフプランも大幅に修正しなければなりません。

「ありがとう」

「お願いします」

「感謝しています」

これらの言葉は、負けを意味するものではなく、生きて行くために身につけなければいけない言葉。

でも両親は結局、そんな言葉をこみちに言ってくれることもなく、老いて生活ができなくなっている状況です。

自業自得ではないか?

「そのままだと助けられないよ」

そんな言葉の内側には、身につけて欲しいというよりも、せめてそれだけは心得て欲しかったという気持ちです。

でもそれさえできない両親は、老いることでもうそれさえ考える力を失っています。

起きて冷蔵庫を開ける。

今日の食材に何が使えるのか?

そんなことももう考えていないでしょう。

習慣として扉を開けて、中を見て、閉じる。

何をするべきか。何が必要なのか。

もう母親には分かっていないんです。

「今日のお昼にマックを食べたんよ」

昨日、そう教えてくれましたが、今食べたいものを買うことしかできません。

ひと月の食費を計算している様子もなくて、すべてが結果です。

これで大きなトラブルでもあれば、完全に終わってしまう。

もう今は絵を仕事にしたいなぁとは言えなくなりました。