段々と老いる両親

 一見すると気付きませんが

反応を見ていると、やはり確実に老いていると感じます。

それは何か起きた時、または起こりそうな時に、対処できないことを意味します。

昨夜も父親はお風呂に入りたくないと騒ぎました。

結局は入ったのですが、いつものように介助した母親と激しく言い合いしています。

父親にすれば、「我慢して風呂にやっている」ですが、入れる母親にすれば「一人で入れないなんて」と言う感情でしょう。

しかもこうなることを母親も分かっていたので、父親に「今日、風呂に入るの?」と聞く訳です。

当然ですが、「入らない」と答える父親。

だから母親も予定した今日の入浴を入れないつもりだったんです。

何もしなければ楽。

父親はそう考えています。

でも困難を覚悟している訳ではなく、そうなると騒ぎ立てます。

一方で母親も口では言いますが、言っていることに根拠らしいものがなく、しているのは流れに任せた行動でしかありません。

父親の栄養が偏っていると分かっても、だからと言って母親が食事管理をする訳ではありません。

結局は作っても捨ててしまい、好きなものしか食べられないようになっています。

高齢者になると、口の中で飲み込むための準備が苦手になり、パサパサしたりまとまり難い食べ物を嫌がります。

だからトロミをつけるんですが。

ことは何でも同じですが、考えて行動することができないから「老いている」と言われるんです。

つまり、ダメになっていてもそれを改善できない状況だから、老いているんです。

風呂に入りたくない。

楽したい父親はそう言うでしょう。

でも感染症になったら、自分で対処できるのか?父親にはその状況で自分が動けないことも理解できません。

今、したいかしたくないか。ある意味でそれしか考えられません。

その意味では介護する側は、そんな父親をそのまま自主性に任せるということもできますが、やはり感染症などになって困るのは介護者の方です。

父親は騒ぐしかできないので。

ということは父親に「風呂に入らないなんて」と怒っても、もう父親にすればどうでもいい話です。

なので、優しくでも、泣き落としでもいいので、「一緒に入ろうよ!」と明るく誘うことが不可欠です。

結論を言ってしまえば、家族が介護放棄してしまうと、行政が動き、父親を一時的に預かってくれることになるでしょう。

そして、家族が介護を拒否し続けると、父親は自宅には戻せないので、施設に入る選択肢がありません。

とは言え、この事実を父親に説明しても、自分の立場もどうなるかも理解できないでしょう。

分かるとすれば、家から出されてしまう。家族から見放されてしまうということですが、まだそこまで感じる怖さはないはずです。

その意味では、介護は相互に協力するから成り立つものなので、片方だけが頑張るものではありません。

本当ならもっと父親がしっかりしていた頃から、「お父さんも協力してくれないと施設に入ってもらうしかないんだよ」という事実を告げるべきでした。

ただ父親の精神が不安定になるという理由から、それを伝えていなかったのですが、母親は全体を理解することができなかったのも伝えなかった要因です。

本当に立ち行かなくなれば、もう誰が理解していてもそうするしかないので、その時になったら考えてもいいと思ったんです。

日々、時間が過ぎています。

そして確実に両親は老いている。

今朝も予定時刻より早く母親が起きて来ましたが、だから何をすることもありません。

目についたことを始めますが、それをしたら何がどう変わることもないですし、するならもっと別のことがありますが、それをする訳でもありません。

早く起きて来た。

ただそれだけになっているのですが、その状況を客観的に理解できないことも老いなのでしょう。