介護中の優しさはどう失われてしまうのか?

 同じこと何度も繰り返す辛さ

介護の辛さって、同じことを何度も繰り返すことに似ています。

例えば買い物をして、帰り道に買い忘れに気づいた瞬間、「マジか!」と自分に思うことでしょう。

それで店まで戻り、よかったと思って帰宅する。

靴を脱ぐ時になって、鞄の中に投函するつもりだった手紙があったと思い出す。

せっかく帰宅したし、今日はもういいと諦めるか、やっぱりと思い直してまた家を出る。

そんな感覚が介護なんです。

しかも、自分のミスではない場合も多いので、どんなに繰り返すことになっても笑顔で「大丈夫ですよ!」と心から言える。

それが介護の優しさです。

人って、責任を背負い過ぎるとそのストレスから精神が不安定になったりします。

ですがすぐに怒り出して、「何でまた失敗するの!」というのも違います。

でもこれは経験則ですが、すぐに破綻する人もいれば、見た目とは違ってどこまでも優しさ持ち続けられたりとこればかりは始まってみないと分かりません。

母親が介護する時

母親が父親を介護する時、特に最近は口が出ます。

「いい迷惑だ!」とか「最悪だ」とか。

父親は寝たきりではありません。

立つことも歩くこともできます。

ですが、一切の手伝いもしませんし、3食を用意してもらって、そこから好きな物だけを食べています。

もちろん片付けもしませんから、洗い物も、その食器を拭いたりしまったりも家族任せです。

それを「いい迷惑だ!」と思う気持ちは、こみちも理解できます。

母親の口から出る言葉がキツいのも分からなくはありません。

ただ、父親は母親がいつも優先した大切な人だったはず。

ですが介護になって、母親は少しずつ変わりました。

多分、敏感な父親は口では言いませんが、自分の世話を家族が段々とイヤに感じていると。

とは言え、父親は変わりません。どんなに期待しても、家事をしようという気持ちは持っていません。

やっぱり、当たり前に用意されて、食べるだけの人です。

しかも「嗚呼、もう少しご飯減らして」と、ご飯を茶碗に盛るのさえ自分では動きません。

怠け者といえばそうなるでしょう。

でも、父親もまたどこか大人の発達障害的な部分があって、普通なら耐えられない状況で、平気で居られる部分もあります。

母親は今日、またピーマンを買って来ました。

元々、15個くらいあったので、20個くらいになりました。

もしかすると、また明日、ピーマンを買ってしまうかもしれません。

でももうどんなに繰り返し説明しても、母親には家に沢山ピーマンがあることを覚えられないのです。

それを同様に、これだけは守ってねというルールも、一つとして守れません。

それで嫌になる人がいても仕方がないことです。

母親も父親も、自分の価値観では動けます。

でも、これをしたら相手が悲しむとは想像できません。

父親に言ってしまう気持ちも分からなくはないんです。

でも、言ってしまった自分を反省することは忘れていはいけないと思うんです。

なぜって、やはり自分もいつか介護される側になるからです。

介護って大変だ。そう思うと同時に、自分が介護される側になったら、家族がこの思いで介護するのかとは想像して欲しいんです。

愚痴を言うなとは思っていません。

ですが、余裕がなくてつい言ってしまった後で、それは自身のこととして反省するべきだと思うんです。