「在宅介護」が「施設介護」よりも難しくなる原因

 「対等」だと思っている両親

昨晩、こんなことがありました。

夜の10時、実はこみち既に1時間くらい仮眠しています。

わざわざ10時にアラームするのは、キッチンの排水口を掃除するからです。

両親が自分たちで使った食器を洗い、その後にこみちが自分たちの洗い物をして、排水口の掃除をします。

もちろん、誰かしてもいいのですが、少しでも作業量を減らしてあげたいので、食器を洗うのも後に回し、両親を先に済ませてもらうというわけです。

そして、いつものようにキッチンに行ってみると、両親はまだリビングにいました。

こみちは淡々と食器を洗い、その後排水口掃除を始めたのです。

「もう排水口のゴミ取りも終わっているから」

急に母親が得意げに言い出します。

「でも、食器洗ってゴミを排水口に流したからゴミ取りネットも汚れたよ」

その言葉に母親が酷く怒り出しました。

でもどう思いますか?

確かに母親は自分たちの分を洗ってゴミ取りネットまで交換した。

でも、まだこみちたちは食器を洗っていません。

もう一度、ゴミ取りネットを交換したらダメですか?

些細なこと

今は春も近いですが、gさんをキッチンではまだ見かけません。

ゴミ取りネットの中に少しくらい食べ物が残っていても問題なかったのかもしれません。

でも、最後に交換すると言う原則でそもそも問題なかったのでは。

自分たちの分が終わったから、ネットまで交換したという頑張りを否定はしませんが、何でまだ残っているのに?とも思います。

こみちからすると、母親の行動はどこか中途半端です。

少し残すから、結局はそこも見直さなければいけないのが手間です。

そして翌日の今日、洗い物をしてくれたのですが、洗浄機の中に入れっぱなし。

そのまま出掛けてしまいました。

結局は、次に使う時に中の食器を棚にしまうのはこみちです。

もう助けられていることに気づかないのか分かりませんが、昨日の怒りがそうさせるのか、なんだかんだで母親は今までと変わらない結果になります。

どちらが上か下かを決めたいのではなく、何でできていないと言われてしまうか、考えて欲しいのです。

そして対等とか意地を張るなら、フォローされてしまう実情にも気づいてもらえないか。

できるのなら好きにすればいい。

でもできないからわざわざ方法を変えているのに、そうなった経緯に気づかないで、結論だけを比較したがる。

やっぱり、もう疲れました。