知り合いが「集中治療室」に
こみちの友人が、先々週から入院していて、今も集中治療室にいる。
彼の奥さんから連絡を受けて、ずっと心配していた。
両親には入院していると話したけれど、生命の危険に晒されていることは話していない。
と言うのも、特に母親は彼のことを昔からよく知っているから、万が一でも強い刺激になって欲しくないと思ったからだ。
「もう少ししたら集中治療室を出て、一般病棟に移動できるらしい」
奥さんから連絡が来て、話声も以前よりずっと落ち着いている。
峠を越えたらしいから、「まだ退院はできないけれど…」。
そんな感じの話を両親に聞かせた。
話の途中で父親は話を聞くのに飽きて、途中からいびきをかいて寝てしまった。
「それは心配だね」
そんな感想など父親は思っていないのだろう。
例えばこみちに何か大変なことが起こって、父親に助けてと訴えても、もちろん実際に父親に何かできる話ではないけれど、気持ちとして助けようと心が動くかどうかという意味で、父親は動かないタイプだろう。
一方の母親は繰り返し「病名は何?」と言う。
「だからそれが分からなくて調べているんだろう」
それも同じ繰り返し。
でも「それじゃ、どんな治療をすればいいのか分からないでしょ!」と。
そんな会話をする中で、集中治療室にいる意味を母親も理解できないだろうと感じた。
単なる入院ではない。
強い刺激を避けて欲しくないから話していないとは言え、全てを話しても母親にも現状は伝わらない気がする。
悲観的に受け止めて欲しくもないけれど、両親には毎日が幸せに暮らせていることに感謝して欲しいと思う。
でも、何かから学ぶことが難しくなって、両親は自分が生きていることが唯一なのかもしれない。