何か切ない気持ち

 年を越せるだろうか?と思っていましたが

時間は自動的に流れて、2026年がやって来ました。

昨日は元日で、何か新しい年を迎えて新鮮な気持ちにもなっていました。

ですが、夜になって父親が失禁していて、聞けば約束になっていた朝と夜のパット交換を母親が一回でいいと言い出して、二回必要なことを納得してくれません。

リビングの石油ファンヒーターの側に、濡れた座布団が置いてありました。

真ん中辺りがかなり濡れていて、それが父親の一件だと気づきました。

問題は漏らしてしまったことではなく、乾かせばそのまま使えると思っている母親の方です。

パットはリハパンではないので、多くの回数を補うことはできません。

だから最低でも朝と夜、できるなら昼でも「大丈夫?」とパットを確認するくらいの気持ちが必要です。

最近はチョロっとではなく、ズボンまで濡れてしまう段階なので、失敗のフォローが洗濯まで及びます。

「汚れたら下洗いしてから洗濯機で洗おうね!」

そんな約束もしていますが、最近の母親と会話をして、それができているとは思えません。

最近、洗濯物の乾きが悪いと、両親の洗濯物をリビングに干したりしていて、その臭いが高齢者特有の強い臭いで慣れません。

「洗濯物は自分たちの部屋で干して」

そんなお願いをしても、「大丈夫」と謎の返事で、「臭い」と言わない限り干して欲しくないことが伝わりません。

テレビの側にある椅子からも、特有の臭いがする。

リビングにいることが段々と苦痛でしかありません。

対処したいのに、その意図が母親にはもう伝わらない。

正直、昨日も母親と話して、父親以上にある面での理解力が無いように感じます。

「さっきも聞いたよ」

「そう?」

特に意味のない話を何度も繰り返し、テレビに出ているベテラン俳優を見て「老けた」と言い、その横顔を見ていると涙が出て来ます。

父親の身体介護を母親にはできないでしょう。

今はまだ尿ですが、そのうちに両方になるでしょう。

「何とかなる」

口癖のように母親は言いますが、もうどうにもなっていません。

両親が嫌いとか憎いとかではなく、もう悲しい気持ちしか無くなりました。

追記

「おせち食べたら?」

例のなぜ買ったのか分からないおせちを母親が勧めてくれました。

「あれ、数の子は?」

密かに狙っていた数の子は既にた全て食べられています。

それだけではなくて、目立つエビや肉なども無くなっています。

欲しい物は家族にも絶対に譲らない。

両親の強いこだわりですが、誰かが喜んでくれるから勧めたという発想がなくて、いつも良いとこ取して、残りを勧めるという癖はここでも健在です。