夜中に起きて洗い物をする生活って

 最近、両親とは一緒に食べなくなった

自己愛が共に強い両親。

得するか損するかだけに敏感だ。

理屈は通じない。その感情だけで生きている。

今、ふと目が覚めた。

「何時? 何する時間?」

まだ寝ぼけている頭ではすぐに状況が飲み込めない。

「そっか、洗い物。まだだった…」


両親と別々の食事をするようになって、洗い物も別々。

でも最後のゴミ捨てや排水口の掃除は最後に使うこみちの仕事。

たとえ母親が掃除していたとしても、最後に起きて掃除しなければ生ゴミがそのままになってしまう。

以前ね。母親が「もう排水口も掃除してある!」と掃除し始めたこみちに怒鳴って来ました。

でもよく考えて欲しい。

母親が排水口を掃除したとしても、まだこみちたちは食器も洗えていない。

そして洗えばやっぱり排水口にゴミが溜まる。

それは?またしてくれるの?

結局、母親が掃除したというのは、あくまでも事実としてしたに過ぎなくて、母親たちがキッチンを空けるまで待っているこみちは、自分たちの食器も洗わずに待っている。

その事実をすっぽかし、排水口だけを洗ったとか訴えて来てもどうすることもできない。

結局、母親たちの行動って、正しいかどうかではなく、パターンになっているだけ。

それで上手く行っているならいいけど、そうではない部分は放置されている。

「できないんだけど?」

母親はよくそう言う。

ワンパターンで処理できないと、そう言う。

100のことをワンパターンで90ずつ処理すれば、いつか必ずできない時が来る。

それを覚悟するか、100以上を常に処理するか。

どちらかしかない。

今、両親の生き方って、90や80で生きている。

自己愛の強い両親は、その90や80を「している」と思って生きている。

できない、しなくなった部分は全く見ていない。

以前はそんな取り残された部分を心配して、先回りして対処していたけれど、それをすればするだけこちらの負担が増えるし、頑張ったところで何か見返りがある訳でもない。

なぜなら両親は自己愛しかないから。

正直、この生活も疲れた。