妻からの助言
同居中の父親が一日中テレビを観て過ごしているのは変わりません。
これまで両親の生活は、母親の頑張りで成り立っていました。
ですが、母親の管理していた預貯金が想像以上に減っていて、老いが迫りいつの間にか金銭管理もできなくなって、でも仕事を辞めるに辞められず、そしていよいよ来年にはどこかのタイミングで戦力外通告されることでしょう。
少なくとももうしばらくは細々と仕事を続けて、それがいい刺激や張り、生き甲斐になってくれることを望んでいたのですが、母親の老いも深刻です。
介護支援の度合いを業界では要支援や要介護などのグレードで示しますが、在宅介護の場合、要支援1の最も軽いグレードの手前だとしても、家事をやり切れないなどの日常生活で困難が現れます。
子どもであるこみちが、経済的に支援するとしても、この先になって日常生活の支援にまで範囲が広がる可能性は大きく、今の在宅での仕事では経済的に賄えなくなってしまうとその仕事さえ捨てなければならない八方塞がりになってしまう可能性は高いのです。
単に預貯金を使い込んでいたという事実だけではなく、それは日常生活での日々の家計の管理もできないということ。
つまり、母親が仕事をやめて、「1ヶ月〇〇円で賄ってね!」という食事の分担もできないことを意味します。
じゃあ、母親が料理を作れるのかというと、現役時代から得意ではなかったのもあって、味見を一切せずに作るので、上手くできた時ととても食べられない時の落差が激しいのです。
もう母親も「家事ができない」と思った方がいいという妻の助言は、言葉としては理解できますが、どう考えてもはいそうですねと言える話ではありません。
数年前から、こみちはある意図を持って、母親に貯金をしてもらっていました。
目標金額を設定するような方法ではありませんが、これから両親に何かあった時に一時金が用意できるくらいは貯めて欲しいとお願いしていたのです。
「お父さんには内緒だよ。もうすぐ〇〇円を超えそうなの!」
そんな話をしてくれた時もありました。
「これから施設の利用代とか、介護費用が膨らむからね」
ここでは書けないくらいいろんな場面で、母親から受け取りたかった代金も貯金してくれるならとゆるく任せていたんです。
ですが結論から言えば、母親には難しいことでした。
足りないと思った時に工夫や我慢をして乗り切ることができず、少しだけならという感覚で貯めていたお金に手をつけていたようです。
こみち自身が葛藤しているのは、自身の人生をそんな両親のために捧げる覚悟ができるどうか。
今は家を出て暮らしている妹夫婦が家に来た時も、「介護はねぇ…」とどこで聞いたのかやり方次第だと言われました。
まだ嫁ぎ先の両親が健康なので、在宅介護の難しさを知らないのではないか?そんな風にしか思えません。
と言うのも、自分がここにいて問題を解決できれば簡単です。
でも両親の生活費も含めて捻出し、しかも料理や掃除、洗濯までを任せられないとなれば、身体が足りません。
6時過ぎに起きて来た母親も、8時を過ぎて父親とゆったりと朝食をする。
そこから洗面所で身だしなみを整えたら、もう昼前なのです。
ぶらっと外出し、そこから遅いランチを二人でして、またふらっと出掛ける。
もう夕飯を作る気も、買い物する気もなくて、家にいても忙しく動いているのに何をしているか分からない。
実家の荷物整理も全く進んでいないし、二人が居なくなったらその片付けは誰がするのだろうか。
しかも、もう自分たちの生活を安く済ませられないので、一回の食事代が夫婦で1000円では収まらない。
外食ではなく、家で食べてだから、お昼の食費だけでも年金で貰う金額には合っていない。
宅食サービスを利用しようという時も、母親は高いからと乗り気ではなかった。
でも今になれば、母親の金銭感覚は壊れているので、それこそ誰かが管理しないといくらでも使えてしまう。
認知症の人が、一見すると会話して見えることがあって、でも近くで聞いていると全く話が噛み合っていなかったりするけれど、母親の家事は正にそうなりつつある。
今朝も熱心にシンクの内側を1時間掛けて磨いて満足そうにしているけれど、言い換えればもう同じことを同じように繰り返すことしかできない。
そんな両親とこの先、どうやって生きて行けばいいのか?
年末だというのに、不安しかない。