トイレに入ると…
トイレの便座に座ると太ももの裏側が冷たいです。
そう、お漏らし。
父親だと思うのですが、母親が使ってもその濡れたことを感じていないのも悩みです。
濡れた便座でも生活できてしまう両親。
確かに替えてもまたその内に濡れてしまうので、仕方がないのも事実ですが…。
介護のストレスって、正常ではない状況が続くことで、段々と自分の精神も乱れてしまうことなんです。
汚れていることに鈍感になるか。濡れている度に便座カバーを交換し続けるか。
感覚的に数回に一回くらいのペースでお漏らししています。
思うに立ち上がる時ではないかと想像するのですが、残尿があったまま力んで立ち上がる事で便座カバーの上に垂らしてしまう。
数滴の量ではなく、ある程度しっかり漏らしています。
父親もまだらなので、意識がしっかりしているような時もありますが、それでも正確に何かを完結できるレベルではありません。
している風という感じで、最後までやり切れないです。
まぁその状況は老いよりも個人の性格の部分が大きいのですが、「本当の意味で対等」では父親はやり切れない人です。
そして、母親にも同じような兆候が見られるようになり、例えば便座カバーが濡れていると気づかないのか、気付いても変えるのは私ではないと思って見過ごすのか、いずれにしてもやりっぱなしが苦ではないルーズさです。
だから顔を見るのも辛い時があって、ご飯を自分たちで盛っている時に、ふと少量のご飯が床に落ちたとしても気づかないのか、屈むのが苦痛なのか、放置してしまいます。
だから、後から同じ場所を使う時に、いろいろ目についてため息しか出ません。
しかも少し時間が経過すると両親共に自分のした失敗を記憶から消してしまうので、苦労して床の潰れたご飯を取っていても、それが自分たちだとは全く感じないのです。
言っても伝わらない。
その辛さが介護ストレスそのものです。