家族の関係性を見直して…
「大人の発達障害」を知った時に、通常なら感じることができる気持ちになれない人がいるかもしれないと知りました。
例えば、父親は与えられた家事を自分なりの理由を母親にアピールし、それを「家族」としての常識にすることで役割から抜け出しました。
辛いことや大変なことは誰にでもあるのですが、「できない」という判断は人によって様々です。
家事の場合、少し頭が痛いとか、風邪気味だったとして、それが理由で「できない」と自分から思うのはかなり差があるでしょう。
父親の場合、気分が乗らない程度でも「できない」になります。
以前、そんな父親に威圧的に「やってくれ!」と頼んだら、やはり最後にはしていました。
しかし、母親が関わると「お父さんは体調が悪くて、目が回って」とアピールをして来ます。
一方で、「お父さんはダメよね…」と言ったりもして、最初は母親もどこかで父親の性格が変わってくれて、協力的になると思っているのかを想像した時期もあります。
ですが、「ナルシスト」「フライングモンキー」そして「エンパス」という特徴を知り、ちょっとそこに当てはめて考えると、以前から感じていた母親の言動に「フライングモンキー」的な役割はないのかと思ったんです。
自己愛の強い「ナルシスト」は、それを満たすために行動します。
つまり、手助けしてくれる協力者を味方にするのです。
それが「フライングモンキー」という役。
フライングモンキーにもいろいろなタイプがいるみたいですが、ナルシスト的な部分や自身の信念が薄いなどの特徴も見られ、ナルシストの良き仲間です。
つまり、「お父さんってダメよね。でも、家族で協力し合って頑張りましょう」という言動があったとして、それは前向きな言葉にも受け止められますが、一方では「ナルシスト」を守るための行為とも言えます。
実は昨日、父親がずっとしていない家事があって、「お父さんは全くしない!」と母親に不満を告げた時に「それは知っている」と事実を把握していたことを知りました。
何も知らない様子だったから伝えたつもりだったので。
「知っていたんだ…」って感じです。
そして、昨日、朝から父親とくつろいでいた母親ですが、夕方になっても父親の家事を代わり行うこともしませんでした。
していないことで、こみちがどれだけガッカリするかも知っているはずなのに。
しかも、こみちが父親の家事を代わりに始めた時に、母親は急にその場を離れて、仕事で忙しい雰囲気を演じ始めました。
以前から、父親以上に攻撃的な面が母親にはあって、見えないように、でも露呈している行動があって、「どう言うつもりなの?」とあえて直接問いただしたこともあります。
でも、そんな雰囲気になるとモゴモゴとして、黙ってしまいます。
父親もそうなのですが、今はもう母親も話し合える相手ではありません。
しないで欲しいと頼んだことで何一つ守れていないし、こみちがしたことと同じことを上からなぞったりして、加齢による認知が影響しているのかと思っていました。
しかし、二人の行動を長く見て来て思ったのは、「ナルシスト」「フライングモンキー」「エンパス」の構図が当てはまること。
エンパスな気質は、確かに他人の感情に寄り添うこともあげられますが、一方でそれは経験からも裏付けられていて、つまりは理解しがたい人も分かります。
行為に対して、通常なら感じるだろう反応がなく、ちょっと変だなぁと思うからです。
そして、両親はまさにそのタイプで、「公平さ」や「譲り合い」を望むこみちにとって生活的に合いません。
少なくとも、両親が何か最後まで迷惑を掛けずにできたことってなくて、何かする時は必ず日常生活が犠牲になります。
テーブルの上に使い終わったコップをポンと置いて出掛けてしまう。
まだ洗うのが面倒で、テーブルの端に置いていたなら理解できます。
でも、ど真ん中に置きっぱなしにしてしまう心理って、相手がどう思うかよりも、現実が解決されることを望んだ行為ではないのかと思うのです。
「また、置きっぱなし」
こみちがどんな風に愚痴ろうとも、そのコップを洗ってくれたら、自分は洗わなくても済みますから。
そんな風に理解すると、「なぜ、邪魔になることをするのか?」も容易に分かります。
考え方を知ることで、それが事実ではなかったとしても、その現状に苦しんでいる気持ちが少しでも楽になれれば良いなと思います。
他人であれば、見切りをつけて距離を置けばいいだけの話ですが、「家族」とか「老いた両親」と言う相手をどこまで関われるのかが、こみちの考えるべきテーマでしょう。
事務的に淡々と。
今はそんな気持ちで関わっています。