母親の「感謝」はアイスクリーム!?

 昨日に引き続き今日も

「嫌だ!」と前々から言っていた両親の生活習慣を、また行っていました。

夕飯を準備する時間にキッチンまわりで別の用事をして占領するのです。

両親には事の優先順位を客観的に付けることができないので、行動はいつも自分たち基準です。

使いたいから使う。

食べたいから食べる。

クリスマスケーキでさえ、両親は子どもたちが集まる前に切って食べていたほどで、「ケーキ」がどんな意味を持って、子どもたちもどんな気持ちで待っていたのか理解できません。

「好きなの食べていいよ!」

口いっぱいにケーキを頬張る父親が、そう言うのです。

母親もそんな行動を不思議には感じません。

まぁだから結婚してのでしょうから。

とは言え、集まった子どもたちは一度テンションが下がります。

そして、味見しない母親の作る薄かったり濃かったり、そんな料理を黙って食べます。

「薄かった!」

母親が言います。

子どもたちも一口食べてそう感じ、醤油やソースを掛けてとりあえず空腹を満たします。

そして、既に欠けたクリスマスケーキを前にして、子どもたちは気持ちを切り替えて食べるのです。

そんな時代を経て大人になったので、両親に客観視しろと言う指摘は厳しいのでしょう。

でもこみちだって夕飯を作る時間を楽しみにしている待っているのではなく、別の作業と時間を気にして、キッチンに向かうのです。

降りていって、ダイニングテーブルが占領されて、とてもキッチンを使えるような状況でなければ、辛うじて頑張る気持ちになったつもりでも一気に醒めてしまいます。

実は、母親が惣菜をいろいろと買って来て、それを両親で食べているのはいいと思うんです。

でも、食べ切れないほどの量を賞味期限さえ気にしないで買って、食べ来てなくなるとこみちたちに食べろと勧めます。

こみちは「要らない」と言いたいのですが、妻は「ありがとうございます」と言います。

正直、はぁと思ってしまいますが、妻は妻なりの考えがあるので、もうそこをあれこれと言うつもりも失せました。

時間守れないから、作る時間をずらす。

でもそんな行為に対し、母親はもっと惣菜を買って来るようになるのです。

悪循環です。

じゃあ、作るのを止めればいいのですが、そうすると妻がキッチンに立ってしまい、それはそれで意味がありません。

時間を大きく過ぎて、気持ちを入れ替えて夕飯を簡単に作るのですが、その時にたまたま開いた冷蔵庫にアイスクリームが入っていました。

昨日まではなかったので、母親なりの気持ちで買って来たのでしょう。

でも、クリスマスケーキ同様に、みんなで一緒に食べることもなく、先に好きなものを食べて、残りを「どうぞ!」と言う流れは変わりません。

結局、いつも自分たちが先で、残りを押し付ける。

でも本当に両親は、こみちが嬉しく思っていないことを全く理解できません。

アイスクリームを買って、それを食べたらもう過去になっていて、そうやって改善できない両親は、ずっと同じことを繰り返して生きて来たのです。