中高年の仕事探し 現実と希望の狭間

 なぜ働くのか?

例えばもしも資産が1億円あったら、貴方は全く働かないで遊んでいるだろうか?

仕事と遊びの境界線が曖昧なので、消費するだけを遊びだとしたら、ときめきをずっと感じると思うでしょうか?

言ってしまえば、それって介護施設にいる利用者と同じで、彼ら何か求める介護士は少なく、快適にその日を送って欲しいというスタンスになります。

朝、起きてご飯を食べて昼にも食べて、夜にもたべる。

お風呂に入る日があって、みんなでレクリエーションをして運動をする。

そこが満たされた最終形なのか?

言ってしまえば、そんな環境で誰にも迷惑を掛けずに老いていけたら人として最高なのかもしれません。

でもそうなる前にもう一つ何かあるとするなら、健康で働ける自分でいることではないでしょうか?

年齢という意味ではなく、もしもこみちがショップの店員だったとして、その店員さんから買いたいと思うか想像すると、できれば別の人が嬉しいなぁと思ってしまいます。

商品を受け取り決済するだけなので、誰でも良いはずですが、鏡に映った自身を見て、進んで彼から買いたいとは思えません。

自己評価を下げたいという意図ではなく、素直な感覚として「店員」と言っても手順ができることだけが重要なのではないと思うんです。

自分はどこで働けばいいのだろう。

自分にできることではなく、自分が求められている場所を探すことが大切になって来ます。

同じ働くなら少しでも時給がいい所が嬉しい。

でも時給は、働く地域や職種である程度決まるもので、同じ職種で比較するよりも根本的にお金が活発に動いている業界を目指した方が希望に添いやすいのは言うまでもありません。

そして、責任というか、業務に対して責任を持つポジションほど、時給も高くなる傾向です。

つまり、その作業にスキルがあって、仕事に責任を持って担うことができる働き方になれば、その業界で目指せる上の方の時給になるのであって、スポットで誰でもできる仕事を責任持って頑張っても、それだけでは望むようなポジションにはなっていないのです。

結局、キャリア形成って誰しも理想的な働き方には最初からなれないので、技術や経験を重ねて段々と成長して理想的な働き方に行き着くのですが、中高年の場合、多くは育成期間など設けられていないので、どうしても未経験でも受け入れてくれる職種ほど、成長して理想的な働き方には成りにくいように思えます。

とは言え、それが厳しい現実だとしても、働かせてもらえるなら本当にありがたいと思っていて、そこには自分よりも有能な若者がたくさんいる中で、わざわざチャンスを与えてくれたと思えるからです。

やっぱりどこかで思う希望

こみちは絵を描くことが好きです。

ある意味でただ楽しくて続けて来た趣味です。

でも、その楽しいという感情、伝え方次第で娯楽にならないかとも思います。

才能を感じさせる画家やイラストレーターではなくても、等身大の目線でこんな楽しみ方もあるかなぁと思ってもらうことができたら、そこに少しの気晴らしや気分転換のキッカケにならないかと。

もしもそんな目的で描くとするなら、プロレベルで上手いことよりも、全く違うアプローチで描く意味を伝えられるように思うんです。

そして、この「どう見てもらうといいのか?」は、仕事でスキルや経験を重ねて仕事を任せてもらうことそのものにも思えます。

結局、理想も現実も明確な差はなくて、目指す方向は全く同じです。

今の自分に合った環境で働けば、それが結果的に理想にも繋がるので。

仕事ができる幸せを感じつつ、でもどこかで理想的な働き方に憧れてしまう。

今はまだ少し形が違うかもしれませんが、段々と理想と現実が近づいて来たら、それは自分にとって目指す生き方になると思います。

今日も元気に行って来ます!