「ボトルネック」に直面したら「不幸」になる!?という話

 「ボトルネック」とは何か?

ここで言う「ボトルネック」を別の言葉で言えば、それは「制限」ではないでしょうか。

つまり、生きて行く中でアレもコレもしてみたいと思うことがあるものです。

しかしながら、なんらかの理由でできないことがあり、もしも仮に自分自身が望んだ未来でそんな「ボトルネック」が存在すると、大きな障壁になるでしょう。

ですが、ボトルネックがどんなにあっても、そのことに気づかないまま生きられたら、ある意味で人生は「幸せ」です。

なので、今の生活やこれからの生活の中で、ボトルネックがあるのか否かで、幸福にも不幸にもなり得るということです。

「失敗」は「ボトルネック」なのか?

例えば、何かの試験を受験し、その結果が実らなかったとしましょう。

「不合格」というが、「ボトルネック」なのかということよりも、その「勉強方法」や「勉強環境」がボトルネックになっていなかったか振り返ってみるべきです。

例えば、自分で受験日までの勉強方法を考える独学は、それが合っている人もいれば合わない人もいます。

そして、独学で勉強して上手く行かなかったのなら、やはり再受験を考えるなら勉強方法や環境の見直しは必須です。

ただ時間的に、経済的にという理由から、選択肢が選べない場合には、その勉強方法や環境で頑張るしかありません。

しかし、その方法がボトルネックだと気づいたなら、それを克服するか回避することが幸せに繋がります。

勉強の計画や内容を専門家に依頼して、自分は与えられたプランに従って付いて行くというスタイルにすることで、結果が得られるなら選ばない理由はありません。

なぜなら、「合格」が最も重要なことで、努力したことではないからです。

失敗することも繰り返してしまうことも悪いことではありませんが、それが理由でボトルネックだと思うべきではありません。

同じような意味で、自動車の車検にはユーザー車検があり、本来ならディーラーに依頼すれば全ての手続きや修理を任せられますが、「自分で行うこと」が目的だとするなら、もちろん合格できることが喜びですが、実際に車検場を訪れた経験は生き甲斐に変わります。

試験も受けることが目標なら、その時間の勉強もいい経験ですが、やはり合格してその先を望んでいるなら、どこにこだわるべきかを考えた方が幸せには早く近づけます。

こみちは不器用な人間です!

こみちは不器用な人間で、こうやってブログに記事を書いては何かの役に立ちたいと思っています。

しかし、「役に立ちたい」が本当の目的なら、自分が感じたことを記事すればいいのかということから疑ってみなければいけません。

なぜなら、欲している人が誰もいない話を続けても、役立ちたいという目的には近づけないからです。

その意味では、「努力していること」を満足するよりも、「役立つ」の意味や方法を考えたり、人から学ぶことが必要でしょう。

意外とそんな当たり前のことから逃げて、好きなことだけを繰り返しているから思うような結果に結びつかないのでしょう。

ボトルネックが自分自身であることを改めて自覚し、今後の生き方を見直す必要がありそうです。