年末に感じる絶望感 在宅介護の現実

 「ストーブ、消し忘れるなよ!」

これは昨夜の話。

この記事の一つ前にアップした内容は、仕事を打ち切られた話でした。

賃上げ、値上げが囁かれる中でも、不器用な弱者ほど見えない闇に押し流されます。

請負っても儲けが見込めない仕事を貰うために、さらなら出費を求められたら、どこかで諦めてしまうしかありません。

「ウチではちょっと厳しい状況です」

「そうですよね」

面白いもので、相手の方はとても親切で誠実な人です。

横柄で傲慢さなどありません。

ですが、だからこそ交渉を許さない壁も感じます。

「またお願いしますね!」

「もちろん、こちらこそお声掛けください」

この手のやり取りはもう何度も繰り返しましたが、その後に声を掛けてもらったことはほぼありません。

年末と言うのに、厳しい状況だなぁと妻にもまだ話せていません。

そして、午後8時の予定が、両親の都合で9時近くになり、もう食事をやめて寝たいと思うほど睡魔もあって、やっとリビングに降りました。

昨日、仕事から帰って、トイレの便座が汚れていたので、簡単ですがトイレ掃除をしました。

キッチンに行けば、漂白した台拭きが桶に浸されています。

自分用に昼食を作りたくて、その桶を移動させるところから始めました。

食洗機の中は食器が放置されたまま。

生ゴミ用のバケツも放置されていたので、ビニール袋をセットするなど用意したんです。

妻はもう両親に期待するのは難しいのではないか。期待するからストレスが溜まるのだと言われます。

正直、期待しているつもりはありません。

1ミリさえ譲ってくれないのも知っていますし、良い方と少し悪い方が並んでいたら、両親は何の遠慮もしないで良い方を選ぶ人たちです。

できていない、していない、だとしてもこみちたちがしてくれるだろうと放置するタイプです。

だからと言って同じように合わせても、事が深刻になることもあって、そんな行き詰まった時に両親が頑張れる訳ではありません。

放っておけば、日に日に狭い範囲で生活しているでしょう。

操作が分からなくなったらテレビだって見えないでしょうし、汚れても掃除しないでいれば簡単には取り除けないしつこい汚れになってしまいます。

後で困るのはこみちなので、手を出してしまうのですが、それを見て申し訳ないと感じることもなく、放置することに抵抗がなくなっているようです。

午後9時から始まった遅い晩飯。

妻と話ながら10分ほどで終わります。

先に妻が食卓から離れて、こみちは汚した食器を洗い、生ゴミを処理して、シンクなどを洗って、新しい排水ネットに交換します。

母親はもちろん、父親だってできない家事ではありません。

しかし、流れでこみちがするようになり、当たり前になって、それ以来母親も父親も代わってくれたことがありません。

「もう寝るから、ストーブ、消し忘れるなよ」

こみちの脇を通り過ぎながら、父親がそう言って来ました。

食後、自室に戻って寝るまでにしたかったこともありました。

でもこみちには寝る前にも決まった家事があって、それらは両親が放置した結果担当になったものでもあります。

「消し忘れるなよ」

「誰に向かって言っているの?」

こみちの感情が爆破して、父親に言ってしまいました。

「お前だよ。二人しかここにはいないぞ」

残念ながらこみちは上手い台詞が浮かびません。

ただ頭の中で、人に押し付けてしかもマウントを取っているように見える父親が嫌でした。

自分は弱者だとアピールし、責任からは逃れる。

その癖、ある程度落ち着いた頃に、戻って来て、持論を熱弁したりする。

こみち、仕事は失いましたが、外で働いて楽しかったです。

でも家に帰れば、介護が待っています。

オムツ交換のような介護ではなく、自由奔放な両親に合わせて生きる介護です。

声を荒げたので、妻が洗面所からリビングに入って来て、二人を見ました。

そして、こみちに向かって「何しているのよ!」と怒り出します。

父親は自分の寝室に歩き出し、「もう何も言ってやらない」と捨て台詞です。

「やらない」

そこまでこみちは我慢するしかないのでしょうか。

付き合いのある自動車屋の店主が息子に代を譲り、店にも顔を出さなくなりました。

「おじさんは元気にしている?」

「ああ、家に整理していますよ。終活です」っと。

何でもない会話ですが、それって普通に思います。

でもこみち家はそうじゃない。

全てが放置されたままで、両親が亡くなれば膨大な荷物の整理が待っています。

母親はそのことも「時間がないから。時間があればできるんだけど」と言い続けて来ました。

でも、今の様子を見ていて、掃除をパパッと片付ける俊敏さはもうありませんし、じっくりと時間を掛けてこなすことも難しいでしょう。

結局、それも全部、「あとはお願いね」と言う台詞になります。

父親の担当ケアマネが訪問する日も、母親は出かけることが多いです。

自分は分からないと言うことのようですが、分かるかどうかは別問題で、父親のことだから当たり前に子どもに託すには違います。

「いつもありがとう」とも言いません。

「菓子パン買ったから食べたら?」

ある意味でそれが母親の気持ちです。

でも、何かで代用しても意味がなくて、それが感謝にもなりません。

そんな両親だから、その場凌ぎを続けていますが、多分関わった誰もがその気持ちに気づいていなくて、良くは思っていないように思います。

頑張ろうとするから、それをフォローするのであって、最初から押し付けて来たら「は?」ってなります。

気力がなくなってしまいました。

クリスマスも正月も、今後のことを見越して我慢我慢。

でも両親は気楽なもので、焦りなど感じないのでしょうか。

来年、再来年とさらに深刻になることを考えたら、辛さしかなくなるので、今日だけを考えて生きることにします。