もしも今、こみちが18歳だったらの話

 中高年の仲間入り

人生の終盤を迎えて、「人生」とは何だったのかと考えると、それは自分のためであり、妻のため、子どもたちのためだったと思います。

特に妻を見て、側にいてくれて有り難いと感謝することしかできません。

例えばこみちが今の年齢まで独身だったら、特定の彼女を作るよりも、性別を意識しないで集まれる仲間たちが欲しいと思います。

ツーリングに行くけど、誰か予定が合う人はいませんか?

もしかすると「はじめまして」かもしれませんが、「ツーリング仲間」と言う関係で、私生活には踏み込まないくらいの距離感です。

冷めているのではなくて、だからこそ気兼ねなくいろんな人とその時々で「ではまた!」と笑顔で再会を楽しみにできると思うんです。

例えば、妻との出会いがなかったとして、あの時に一緒になると言わずに疎遠になっていたら、もしかすると全くタイプの違う相手と結婚し、今とは違う土地でまた違う日常だったかもしれません。

でもどんなに考えても、選択肢の中から選べるのは1つだけで、「誰も選ばない」を選んだとしても、その人生しか送ることはできません。

結局、その時に「これでいい」と思えたら選択肢なら、それ以上はなくて、あとは如何に満足するのかだけです。

つまり、今、もしも18歳に戻って人生をやり直すことができたとしても、当時だから経験できたことは今はもうできませんし、今だかできることも過去にはできませんでした。

なので、悪い部分、心配なことばかり考えても、その悩みだけでは何も変わりません。

だからいい事だけを考えた方がと言うこともなくて、大切なのは悩むことも喜べることも自分が楽しむことだと思うんです。

当時、親から公務員を強く勧められました。

でもこみちはその道には進みませんでした。

だからこそ経験できたこともありますし、もしも言う通りに進んでいたら年金面では安定していたかもしれません。

どちらがよかっただろうと振り返っても、通って来た道が違うので、楽しみ方も違います。

安定しているけれど、その分だけ人生経験が狭くなってしまったとするなら、その逆と比べて、必ずしも良い選択肢かは人によって異なるでしょう。

つまり、振り返れば、あっちを選んだ方がと思うこともあるでしょう。

でもそれは今の道を知ったから分かることで、そのまま別の道に進んだら、その時はまたこっちの道に憧れていたはずです。

つまり言い出したらキリがなくて、だからその時に「これでいい」と言う納得できる選択肢なら、それを受け止めた方が幸せだと思います。

結局、その選んだ道をどれだけ幸せだと思えるかが、いい人生なんですね。