高齢になった両親との同居で気づいたこと

 在宅介護からみた認知機能低下

1+1=?

5−?=3

これらの答えって、割と簡単に出せるのではないでしょうか?

こみち家ではちょっとした変化があって、父親がトイレでお尻を拭けなくなって来ました。

「拭けなくなった」というワードは、それこそ数字の1や5と同じです。

つまり、=を考えるとその先に何が起こるのか?その手前ではどんな影響があるのか?=になりるとはそういうことなんですよね。

例えば母親は父親に「お尻、拭けているの?」と聞き、父親は「拭けている」と答えます。

そんな二人のやり取りを見て、冒頭のような数式が成り立つ訳ですが、別角度から見ると何か足すべきことや引くべきことがあるんじゃないかと普通なら気づきます。

介護士経験のあるこみちなら、申し訳ないですが、着替えなどして下着が汚れているともう本人ではできないかもしれないと次の段階を考えてしまいます。

でも介護経験や状況判断が疎くなると、「できているの?」「できている」の会話で終わります。

これって、部屋が汚れているとか、ズボンがきちんと履けていないとか、やっぱり高齢者になるとできなくなりやすいことが、目立って来ます。

しかもできていないことを客観視もできない。

高齢者だからと言いましたが、実際にはこの状況が未来にどう影響するのか?我々現役世代だとしても、理想は語れれても、だからどこから修正し、その改善策はどんな方法が良いかまで直ぐに答えられない人もいるはずです。

汚れたら、それを捨てて新しい物に買い換えるって、策としてはシンプルですよね。

でも現状を見極めて、どこまでが大丈夫で、どこがダメか。

ダメな原因とその修繕にどれくらいの日数やコスト、手間が掛かるのか?

それをいくつも絡み合った状況で答えを出すのは、やっぱり面倒くさいものです。

これ、例えば老いた夫婦だけが暮らしながら、互いに気づかない内に家の中がごちゃごちゃになるなら、ある意味ではそれもアリなんですよね。

でも同居して気づくのは、ダメに思うことを両親に説明しても受け入れる判断はもうできなくなっているです。

「それじゃダメだから、こうしよう!」

そんな話で、例えばコストが掛かってしまう時、両親は強く拒みます。

「もったいない」と。

ですが、今の段階ならコレだけで済むけれど、さらに数年経過すると数倍になることも少なくありません。

そうなるともう両親だけでは対応できないことだってあるんです。

知らないならそれも幸せ。

でもそのままでは幸せとは言えないから、軌道修正も必要になる。

やっぱりコストがいろんな場面で必要になるです。

準備しないまま隠居生活を始めても、知らないままならそれも幸せ。

でも、アレもコレもそれで良いとは思えないから、同居って板挟みになるですよね。

他人なら言わなくても良いのに、身内だからダメだと伝える。

しかもそれを理解できないのも高齢化にはあることです。

父親の履いているズボンが、少しくたびれています。

家で履くならまだ良いとしても、デイサービスでは履いて欲しくない。

でもその理由を母親が理解できませんでした。

「ゴムが緩いんでしょう?」

違うと伝えても伝わりませんし、むしろ「そんなにくたびれて見えないけど」なら分かるですが、上手く履けないでズボンが中途半端にしか履けていない父親を見ても、母親って手を貸さないですよね。

良い悪いではなく、そこに気付けなくなってしまうんです。

父親が数日間風呂に入らないで、デイサービスに行けるのと構造は同じです。

だからダメではないですよね。

できない知らないならそれしか選択肢もありませんから。

でも、親を介護する立場で同居すると、どこまでが子どもとして手を出す部分か、どこはスルーして自尊心という理由づけに逃げるか悩みます。

来年からは母親も家にいることが増えるので、それはそれで面倒なことも増えます。

スリッパはどこに置くの?ゴミ箱は?

全部を気にするとこちらが大変なので、でも母親のするままになると、途中で放置になることも増えるでしょう。

家にいるから家事ができる訳でもないからこそ、家事もやり難くなるです。

それが母親に対する介護の始まりでもあるですが。