それは昨日のこと
夕方、こみちがご飯を作っていました。
リビングにはテレビの前で寝込んだ父親がいます。
母親が父親の部屋を掃除機で掃除し、終わってリビングに現れました。
「部屋の掃除して、洗濯ものでしょう? 嗚呼、疲れた」
父親が労ってくれないので、母親は父親に向かって何度も同じ話を繰り返しています。
そして「こんな歳になって掃除している人はいない!」と言ったのです。
掃除をしないという感覚
たまたまだったかもしれません。
でもその言葉を耳にして、母親はもう座っているだけで何もかもしてもらえる父親にどこか憧れているのかもと思ってしまいました。
もう母親は自分たちの洗濯ものはしていても、それ以外、特にノルマはありません。
買い物も無いものをチェックして買うのではなく、スーパーで好きな惣菜を買っているのような感じです。
掃除機もそう。
確かにスイッチを入れてブラシを動かして掃除をしていますが、ゴミが溜まって交換することもありません。
使うだけです。
そう考えると、家事の根本的な面倒な部分ってもうしていないんです。
掃除機だって完璧じゃなくても自分の判断でいつももやめられる。
そんな状況です。
にも関わらず、「掃除などしている人は…」と口から出てしまう。
言い方を変えれば、自分は頑張っている方だと思っているのでしょう。
そうだから、「いつもゴミ捨てありがとう」も「トイレ掃除助かる」も、「ご飯を作ってくれたありがとう」も言わないでしょう。
むしろ自分も頑張っている側。
何なら父親にみたいに、全部してもらう側が当たり前になっているのかもしれません。
まだ料理しているこみちの前で、「掃除して疲れた」という母親を見て、父親と二人暮らしなら、全部しなければいけない状況だったとは想像しないのでしょう。
相変わらず、決め事を守ることもできない母親なので、いつも向きや置き方がルールとは違います。
そこに置かないで!と言いても、やっぱりそこに置きっぱなしです。
それを片付けても、できていないからとは思わないようで、フォローされているという感覚がありません。
できていない自覚がない相手って、意外と面倒です。
口だけは出ますから。
もう母親は、不足した食材に気づいて買って来てくれません。
買って来るのは、決まった食材だけなんです。
またピーマン?
そんな買い物。