「介護」が現実的になると人は「生きる」意味を考える!?

 若い頃の「できた!」が老いたら「できない!」になる

若い人にはイメージできても、まさか自分がトイレの場所や使い方が分からなくなってしまうなど想像できないでしょう。

でも、子どもが成長に従い「できた!」と大人に近づくように、高齢者は「アレ、できない!」に直面します。

夜寝ていて、トイレに行きたいと夢の中で思う。

でも絶対にしないですよね。

それが「できる」人の感覚です。

ということは、いつか老いれば朝起きてビックリすることが普通に起こります。

しかもこみち家で言えば父親がその段階で、濡れたお尻でイスに座っていたりします。

お漏らしをしたという事実もですが、濡れたお尻のままでイスに座れば今度はイスまで掃除しなければいけません。

「何で汚すの?」

そんなことを聞かれても、内心では「オレにだって分からない」ということです。

できることが増えて成長する子ども時代とは異なり、年を重ねるとあるタイミングでできないことが増えてしまう。

トイレだけでなく、自分で着替えたり、歯を磨いたり、食事をすることも難しくなります。

つまり、趣味の〇〇を楽しみたいと思うなら、まだ老いが始まる前にぜひやってみるべきです。

頑張って頑張って、老後の準備もこれで大丈夫だと思っても、楽しむことができないのでは残念ですから。

もちろん人様に迷惑をかけてまでとは言いませんが、できるチャンスや頑張ることができるなら、それは若い時にしか選択できないんです。

老いると、あと少しという時も無理してやり遂げることができないので、どうしても若い頃にできたことが数日や一週間に分けないといけなかったりします。

不便だなぁと思うかもしれませんが、不思議なもので段々と人は老いるので、何か少しできなくなったという些細な体験が続くだけで、若い頃よりもできないとはあまり感じません。

ただ時折、若い人の活気に触れると、「自分とは全く違う」とか「若いっていいなぁ」と思うんです。

とは言え若くなって何かできるのかというと、結局はこれまでの人生とほとんど変わらないんでしょうけど。

例えば不老不死のような未来が訪れて、人は永年に生きるとしたら、老いないことが大前提で、死ねないけど老いてしまうのであれば、人の優しさには気づけますが、やはり自分自身ができないことにもどかしさを感じるはずです。

誰しも老いれば、できないことが増える。

悩めるのも若いからです。

なぜなら、老いるに従って段々と選択肢が少なくなくなりますから。

選べるって凄いことなんですよ。