ふと気がついたことですが
1度ゴミ箱に捨てた物を母親が拾って来てしまいます。
汚れているような物ではありませんが、使い込んでそろそろ新しい物に変えたいなぁと思って捨てた物を「まだ使える」と拾ってしまうのです。
今の母親の思考や判断力は、「その瞬間」の積み重ねで構成されています。
ゴミを見つけたから拾う。
ドアが開いているから閉める。
そんな感じです。
でも日常生活は必ずそうでは進まなくて、定期的にゴミを見つけなくても掃除して、夜になったら戸締りの確認をするような「決まりごと」もあります。
「勿体無い」と大切にする気持ちを否定している訳ではなくて、もしもそう思うなら他にも改善して欲しいことは沢山あります。
でも、それを指摘しても困惑するだろうし、ストレスでメンタルを壊しても仕方ないので、できるだけ言わないようにしての今です。
母親の性格を考えると、まわりが「本当は上手くできていないけど、いろいろと妥協してくれている」と謙虚に思っている様子はなくて、できていないことは記憶から消えてしまい、できたことやしたことを特に覚えているようです。
なので、できていないことを指摘されると、知らなかったとか、言われていないと繰り返し、でも自分がした例えば勿体無いと拾って来た物を大切にすると言う意識は誇りとして自分で思っているのでしょう。
こみちも几帳面な性格ではないのですが、それでも何かする時は掃除や整理整頓から始めなければいけません。
必要なものがあるべき場所になかったりして、それを準備する所から始めなければいけないからです。
ではなぜ無くなっているのかと言うと、多くは両親が使いっぱなしで片付けていないからです。
50対50で支え合うことはなくて、多くは尻拭いをしてあげないと物事が片付きません。
例えば拾って来た物も、どこかに片付けているのではなく、棚に置いてあったり、壁のフックに吊り下がったままだったりで、日常生活でよく目にする場所にずっと使わない物が置いたままです。
生活臭と言うか、所帯染みた感じが強くて、もう少し整理できないのかとやはり思ってしまうので、要らない物は捨てているのですが、使わずに置いている物で溢れてからでないと処分できません。
「捨てるからね」
改めて捨てることを伝えないと、ずっと置きっぱなしになるので、こみちとしては拾われて「手間が増えた」としか思えません。
片付けが不得意なのに、こだわりがとても強くて、もう自分では処理できないことでもそれを流すことができない性格みたいです。
糖尿病の父親に毎日菓子パンを買い与える母親に、勿体無いの前にするべきことがあるのではと思ってしまいます。
でもそれも母親のこだわりがあって、「糖尿病とは何か?」よりも「夫に尽くせる妻」と言う母親なりのイメージを守ることが大切なようです。
一日中テレビの前で寝転んで過ごす父親も、段々とADLが低下し、以前よりも日常生活の動作が上手くできなくなっています。
落ちている活動量をどう維持できるかを考えることはしないのも、不思議で仕方ないことでしたが、どちらかと言うと重要ではないことに強いこだわりを示すので、母親が今以上に認知低下すると言っても聞かないようになる気がします。
できるつもりでいるから、余計に扱いに困るんです。